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森田療法/純な心

「純な心」とは?。そうですね。純粋な心です。自分もそうでしたが、心を病むと気持ちがひねくれてしまう人がいる。意地が焼ける。面白くない。イライラする。もちろんそれは症状のせいもあります。しかし根本的なこと。森田先生はそういった点に着目しました。臨床を通して気がついたのでしょう。「気持ちの純粋な人ほど治りが早い」それは鈴木先生も言っていました。森田先生の時代、患者さんが確か大事なお皿を割った。患者さんは「手が滑ったからだ。この皿が悪いからだ、どうだ」などと言い訳を言う。それに対して森田先生は「しまった!の一念で良い。後はいらない」と言ったそうです。

何が言いたいか?その時の気持ち、「ハッとした!」その純粋な気持ちが大切です。私は思いますがそういった気持ちは非常に大切で、他人を思いやる時も純粋に相手のことを考える、思いを尽くす、それは純情な気持ちかもしれません。でも症状を直すことにおいてはそれは強力な武器になります。私は知っています。人格障害のボーダーラインなどは相当ひねくれています。天を恨み地を呪う、正直私もなったことがあるんです。神経症とは別格です。重症度が高いのでしょうが、素直さと程遠いのです。しかし神経症の人は努めて意識すれば素直になれるのです。

森田先生並びに鈴木先生はそれのことが言いたかったのでしょう。「素直になると早く良くなるんだよ」。当時はもっと厳しく指導されましたが、今の普通の言葉で言えばその通りです。私は病前の性格よりも優しくなりました。神経症の頃はトゲトゲしていてかなり自分勝手で対人関係も上手ではなく、あまり冴えないタイプでした。克服したら変わりました。のんびりとしたところもありますが、細かなところにも気が配れ、他人との協調性もあります。人と話すのは好きになりました。ずっと上手に喋れるんですよ?視線恐怖なんてもう今はありません。感覚的に遠い昔の別世界のことです。人間が違う感じがします。

人は変われます。鈴木先生はそれを「人格の陶治」だと言いました。人は心の病気になると辛い思いをしますが全ては悪くはありません。自分の短所を見直し長所を伸ばす。試行錯誤をします。悪戦苦闘をしその究極のその末に見えたもの→「新たな自分の発見」です。病気の克服は新しい自分との出会いです。ただそれには相当の努力をしなければならない。運もあるかもしれない。やるべきことをやり行き着いた末に、全てが落ちていく。不必要なものがなくなったその末に症状が改善される。それを「身心脱落」と言います。「そのもの」だけになるのです。

「そのもの」って?それはあなたの心の一番大切なもの。心のコアです。ただ「それだけ」になります。心がね。その時あなたの心は自由に動く。今までのようにとらわれることはない。鈴木先生はそれを力説しました。私はその患者です。当時はたくさんの患者さんがいましたが今説明している方はあまりいません。どういうわけか私は一応理解してるので、お教えしたい所存です。私の発言は経験から来ています。森田の教えは体験療法。体験から導き出された知恵は、ある意味「不変である」と鈴木先生は言っていました。「不変の知恵」なのです。とても大切なことです。

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