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森田療法「入院規定破り」

1999年2月25日。晴れ。私は午前10時頃、起きたと思う。手紙が来ていた。東北の女の子からだ。二度目の入院の時、一緒だった子。連絡を取っていた。私が手紙を出していた。ドキドキして開ける。「今、鈴木診療所にいます。具合が悪くて来ました。ここにいると治るんですよね?。さようなら」。びっくりした。「どうして戻ったんだ?」。あの子は高校生だ。「学校はどうしたんだ?、そうだ早く診療所に行かなくちゃ!」。急いで適当に食事をして、駆け足で中野の病院へ向かう。よく覚えてはいない...…。

さいたま市からJRを乗り継いで、新宿から地下鉄で中野へ。そして中野区本町の鈴木知準診療所へ。鍋屋横丁を急ぎ足で歩いた。病院についてすぐ、外の道路から庭の方へ回る。病院の庭にいる知り合いの男性に声をかけた。その子を呼んでもらった。私は要領がいいので、先生の本宅の方から、影になる、道路沿いの垣根の茂みのあたりで、その女の子と話をした。そこならば見つからない。彼女と話ができて嬉しかった。見た感じは元気そうだった。2時間位話したか?。寒い冬の2月の末。私はマフラーを外して、その子のお尻に敷くように促したが、その子は「どっちでもいい」と言う。彼女は今までの経緯を話してくれた.......。


「症状が取れないの。学校には絶対に行けないよ!」と言っていた。かなり困っていた。私は「どうして戻ってきたの?。症状があっても大変でも学校に行くんだよ!」と応じたが、よく分からないようだ。彼女は頑なに拒否する。色々話した。これまでの事とか。家族の話をしてくれた。時間が来て病院に戻る時、彼女は「全然作業してないよ。どうやって日誌に書くの?」と文句を言って戻って行った...…。もう夕方だった。「どうしよう..…...」、それから私は、暗くなった道を、半ば呆然としながら自宅へ帰って行った........。好きだったんですよ......。

それから1週間もしないで、私は外来で病院に行った。そういう約束を彼女としたのだ。私は当時、かなり体調が良かった。病気が治ったと思っていた。相当な自信があったんだ。症状がある彼女のことも、救えると思った。「うまく話せば、その子は学校に行ってくれる!」と。それは結局は大きな間違いで、大失敗をしてしまったんだ。私はその後、そのショックで半ば精神病になる。その女の子とも上手くいかず、泣く毎日。うつ状態から始まってその後も、四半世紀位、精神病状態になる。暗黒時代の幕開けだった......。でもそれは自業自得。決して彼女のせいではない......。

外来は「追体験」と言った。費用がかかるんですよ。保険外ですからね。親に適当なことを言ってお金を出してもらいました。10日間で10万円以上です。親を騙したのです。当時生きていた、お父さんは「なぜ行くんだ?、理由を言え。もう良くなったのだから、行くのはやめろ!。何か嫌な感じがするからね」と言ったんです。それは的中しましたね。私は本当のことは言わなかったんです。女の子目当てで行くなんて、口が裂けても言えなかった......。それで病院に行ったのですけれども、相当状況は悪かったのです。他の神経症の患者たちの態度が悪いのです。すごい嫌味を言ってくる。きついんですよ、口調が。耐えられず、3日目には私は水のようなひどい下痢になりました。ストレスからです。下痢止めを飲んでも効きませんでした。

困ってしまって、その子と同室の、年頃の大学生の女の子とか、二人に頼んだんですよ。「あの子のことで是非協力してほしい!」と。そうしたら、断固とした態度で断られました。一人の女子大生は「何だ私のことじゃないんだ?」とそっけないです。ぷりぷり怒る。もう一人の同じ年位の女の子は、髪ばっかりいじっている。その子もふてくされてる。最近、YouTubeで見ましたけど、好意のある男性には、女性はさかんに髪をいじるそうですね。味方はいなかったんですよ。それに、同い年位の男性からは、私は嫉妬されていじめられました。無茶な作業を押し付けてくるんです。命令ばかりされましたね。理不尽でしたが、女の子のことを考えて黙っていました。後で、その女子大生の子には、迫られましたね。好意を持ってくれたんですね。

そして、他の患者さんと作業しながら、その子の様子を見ていました。それが作業してくれないんですよ。話してばかりいる。注意を促しても、「うるさいな〜!」の一点張り。かなり自己主張の強い子だったので、ある意味気に入ってたのですが、骨が折れました。頑固なんですよ。「素直な子じゃないな?」。正直思いましたね。13日いたんですよ、そこには。結局、私はどうなったか?。当時私は21歳です。その子は随分年下でした。間違って、ちょっと卑猥なことを言ってしまったんです。好きが高じてしまったんですね。後でとても後悔しました。もうどうにもなりません。もう元に戻せない.....。

その子はとても怒りましたね。若い子ですから、当然でしょう。めちゃくちゃに怒鳴られました。文句ばかり言ってくるんです。自分が悪いとは言え、しょげましたね。若い男なんてこんなもんですよ。それに、その子は同室の女の子達から、どうもいじめられたようです。嫉妬されたんです。私は薄々、気がついていたけれど、止められませんでした。男気がなかったんです。とても後悔しています。「私が行かなければ良かったんだ。なぜ行ってしまったんだ?。若かったからといえ、あの子の人生だったのに......。」申し訳なかったと思っています。罪滅ぼしで書いている様なものです。本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい。ごめんなさい。


けれども、私は良くなっていたので、先生の面接なども先回りして、2階の受付の、先生に挨拶する所の、手前の物影に隠れていたりしてすぐ出たんですよ。それで誰よりも一番に挨拶したりしていました。動きも早かったのです。先生の講話などもよく分かり、的確にまとめていました。先生はそれを見ていたんですね。でも「奢り」があったんです。今、思いますが、私は当時、神経症が全治していたのでしょうか?。いいや違いますね。若すぎたんですよ。相手のこととかを、見くびっていました。だから異性に対しても、尊大な態度をとったんです。私は自己中だったんです。自己中ということは、まだ神経症だったんですよ。彼女の事は私は救える筈がなかったんです。未熟でしたから。本当は無能だったんですよ。本当に彼女に申し訳なかったのです。私は「治療妨害」をしたんです。規定違反です。重罪です。

そして職員さんには、私が女の子目的で、外来に来たということが発覚していました。ある人には、「早く帰りなさい!ダメです」と何度も言われました。とても若かったんですよ。少しでも一緒に居たかった。もう少し若い、僕と同じ位の職員さんに協力してもらって、3日滞在する日数を伸ばすことに成功しました。とても喜びましたね。バカですよ私は。これは「入院規定破り」なのです。ついには鈴木先生に発覚しました。今でもとても恥ずかしい。先生は何て思ったでしょうね?。その間、女の子にも説得をかけたんです。却って逆効果でした。「うるさい〜!」の一点張りです。

鈴木先生は黙っていましたね。でも少し怒っている感じがしました。様子で分かるんです。ただ最後の面接の時、先生は少しぶっきらぼうに言ったんです。「〇〇君!東大でも入っちゃえ!」。同席していた、他の患者さん達皆が、驚いたのを覚えています。私は「知準先生がカマかけたな!。オーバーなこと言うな」と相手にしませんでした。でも今にして思うのです。あれから25年経ちました。私は専門の医学部も出ていませんけど、森田の理論展開ができるのです。「あるがまま」が自分の言葉で喋れるのです。

今になって思えば、先生は何か見越していたのでしょう。最初の入院の時から「少しマシなのが来たな」と言われました。炊事の主任当番も、17歳で一番年下なのに、同期の人の中で一番早かったのです。仕事の内容も他の大学生よりもできました。作業日誌の記入とかは上手ではありませんでしたが、体を動かすことに関しては、他の人よりも上手だったのです。それに、先生の言っていることも、正確に理解していました。直感的なタイプの人間で、森田の体験的な治療法が向いていたのでしょう。

先生は「僕の言ってることは、心に留めておけばいい。とらわれてはいけないからね。あくまで、体を動かしてそれで治すのが森田なんだ」と口を酸っぱくして言ってましたね。今、Twitterでも森田の話をしてる人達は多少います。でも理論展開をしてる人はいません。かなり理解している人は、少しいますけどね。正確に治った人がいないのです。そんな気がします。あれだけ患者さんがいたのに、どうしてでしょうね?。ある意味、森田療法と言うのは体験的理解から来るものであり、かなり本人の能力と言うか、資質が問われるのでしょうか?。精神療法の創始者というのは、フロイトにせよ森田正馬にせよ天才ですからね。

適性とかあるのでしょうか?。鈴木先生は常々「素直な人じゃないと治らないよ」とおっしゃっていたんです。私は素直だったのかな?。不思議に思うんですよ。病気が治ってしまったら、途端に頭が回転しだしたんです。3割か4割増しです。頭のエンジンの回転数がいくらでも可変できます。増速も減速も。ブーストもかけられます。本当です。昔、鈴木先生の助手の先生が言っていました。「治っても知能は上がらないよ」と。私は向上しましたよ。どういうことなんでしょうか?。親に話すと「お前は先祖から頭のいいのをもらってきてる」と言います。

終わりに、森田の理論展開ができるということは、精神療法方面に適性があるのでしょうね。当然と言えば当然なのでしょうが、大学の医学部に行こうと思います。でも、とても難しいですよね。死ぬほど勉強しないと、入れないと思います。でもですね、頭の回転はかなりいいのです。とても努力するれば、なんとかなるんじゃないでしょうか?。文章なども綴れますし、高校位の勉強でしたら、1、2年位かければ大丈夫じゃないでしょうか?。でも、もう森田療法は外来のやり方を、教えてくれる所は殆どないようです。独学になりますね。別にいいんですよ。入った大学でその専門の先生に師事すればいいんです。精神分析でも認知行動療法でも、ちゃんぽんでも何でもやりますよ。

私は都合、30年ぐらい精神障害をやりました。良くなって、その時の苦労に比べれば、全然楽なんですよ。本当に死ぬ思いをしたんです。それは筆舌に尽くしがたいです。異常体験なんですよ。今は三度のご飯は美味しいですし、好きなこともやっています。楽しいんですよ?。それが勉強に変わるだけですから。鈴木先生は言ってました「ご飯食べている時の心と、勉強してる時の心は同一だ」と。よく分かるんです。勉強もできれば楽しいでしょう。それにできなくても、勉強すれば、他の仕事にも就けますからね。かなり楽観的なんですよ。症状がなくなってしまったら、基本楽観主義者です。気楽にやっているんですよ。バカだと思わないで下さい笑。苦労した人間が言っている、究極の話ですよ。そこらの人とは違うのです。真理だと思います。

威張っているわけではないです。普段の生活はいたって謙虚ですよ。森田の考え方が分かると言っても奢ってはいません。ただ分かるだけです。あの治療法は、普通のことしか言ってませんから。普通のことが、神経症の人は分からないのです。苦労した末に分かったことなんですが、結局は普通のことなんですよ。ただただ「当たり前のこと」です。当たり前に生活して、当たり前に相手のことを思いやる。普通の日々ですね。もちろん楽しいことも、苦しいこともあるんですよ。言ってみれば、淡々とした毎日.......。
でもそこに大きな希みがある。鈴木先生は「森田の究極は希望だ!」と言ってました。所詮人生は無限ループ。そのメビウスの輪を、どうやって楽しむかじゃないですか?。それを解くことで、美しい世界が見えてきますよ.....…。


おわり

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