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寂しさは募るのが仕事
大学を卒業する僅か三か月前、就職も目前に控えた六月に私の母は帰らぬ人となった。
幸いというか22年間生きてきて一度も血縁者の死に立ち会う機会のなかった私にとって、
初めての死別が母になるとは昔の私にはきっと想像もつかないだろう。
母は40歳の時に私を産んだ。
妊娠適齢期なんてフル無視の高齢出産。
憶測でしかないが年に似つかわしくない苦労をかけたであろうことは間違いない。
両親は共働きで家を空けることが多く、子供の頃は寂しい思いをすることが多かった。唯一家にいた祖母が炊いたご飯を味ノリで巻いて食べていたことを今でも思い出せるし、中古のプレステをポチポチしながら、母の帰りを待っていた薄暗い部屋は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
しかしその寂しさはすべて一瞬だった。
母は少しでも休日ができた日には旅行に連れて行ってくれたし、仕事の出張で遠方へ出掛ける用事が出来た母に私が「行かないで」と泣きじゃくった時は出張先まで連れて行ってくれたこともあった。比較的融通の効く仕事であったのかもしれないが齢10歳前後の子供を職場まで連れて行くの大変なお荷物であったことに違いない。それでも母は笑って私を抱きしめ、連れだしてくれた。
「百の言葉より一つの行動」と言ったのは吉田松陰だったか。本当にその通りだと母を通して今強く感じる。言葉で愛していると伝えることは簡単だが、それ以上に行動、というのが母の得意分野だったかのように思う。
愛してるという言葉ではなく寝る前に本を読んでくれたこと、耳掃除をしてくれたこと、アイスクリームを買ってくれたこと、一緒にコーヒーを飲んだこと。全てが彼女の愛であり、私はその虜だった。
その背中は大きく、強かに見えた。
しかしそんな強く見える母でも弱さを見せることはあった。父方の祖母との確執や仕事と家庭の両立。
子供には到底理解が及ばない世界。
そんな大人の悩みに些細な愚痴をこぼすこともしばしばあった。そんな時私はとにかく大人になったら母に楽をさせてやろう、そう意気込んでいた。ある日そんな思いを母に打ち明けたことがある。
「大人になったら母さんにもいいもん食わせたるわ」
母の車の中、いつも通り職場に連れ添っていた私は、車の助手席からそう言葉を投げた。
すると母は、
「どうして?」と返す。
私は間髪いれずに
「だって母さんいつも大変だろ?俺もいつもしてもらってばっかやし、大人になったら少しでも楽させてあげるわ」と返した。(記憶は曖昧だがこんな感じだったと思う)
信じられないほど上から目線の言葉だが、その時は母を励ましたくて精一杯だった。
それに対して母は一言
「私に返さなくていいから、世の中に返してあげなさい」とピシャリ。
子供ながらに母の懐の広さに感動すると共に、母の中には何かをしてあげている、という目線さえないように思え上から目線で軽々しく楽させてあげるなどのたまった先ほどの自分が恥ずかしくなったのを覚えている。
そして今でもその言葉はことあるごとに私の中で反芻されているのだ。
母の病気を聞いたのはいつも二人で通っていた珈琲屋さんだった。大学生の頃、彼女も出来ず、目立ったことも何もなく、長期休暇で実家に戻り暇を持て余していた私に母が目をかけ連れ出してくれたのは決まってその喫茶店だった。
普段は他愛のない会話や日常であった取り止めもない話を漠然と話していた。
しかしその日は違った。
馴染みのある店員がコーヒーを丁寧に私達の机に置き、少し話をした後のこと。
母は
「私ガンになったわ」
とポツリと呟いた。
しばらくの間をおいて私から出てきた言葉は
「え?」の一言だった。
それを心配したのか
「大丈夫、ガンも小さくなってきているし、もうすぐ治る」と母は一言付け足す。
直感だがこの時初めて母が嘘をついたことが分かった。(後々判明したことだが、この時母のガンはすでに体を蝕んでおり、完治の見込みはなく末期であった)
そこから3年も闘病生活を続けた母だったが、私の大学卒業を見送ることなく帰らぬ人となった。
母が亡くなる直前、前日に顔合わせが出来た。
病室に入ると抗ガン治療で髪もなくなり、目も虚になった母の姿が目に入った。母の変わり果てた姿に面くらい、思わず目を逸らす。それでも時間の残されていない母に向き合うため対面時間ギリギリまで側で声をかけた。彼女からはもう元気な声が出ず、絞り出した声で私との再会を喜んでくれた。しかしそれが私と彼女との最後のコミニュケーションだった。最期まで立派にこの世での勤めを果たした母の姿は変わらず美しかった。
今でも時々、元気だった時の母の姿を思い出す。彼女から貰った言葉の数々は今でも私の宝物だ。
落ち込んだ時、塞いだ時、どうしようもなくなった夜に度々心の中で聞こえてくる。
寂しさは募るのが仕事だ。
どんな感情にも意味があり、その都度最適解を出せるよう考える間を持たせてくれるもの。それが私にとっての感情の解釈である。
多分生きている以上寂しさは募り続ける。
もう戻らない過去の後悔も言葉も行動も、全てに心を締め付けられる。
そこで私は当たり前のことにようやく気付く。
会いたいと思っても会うことは出来ない。
話したいと思ってももう話すことは出来ない。
その寂しさにぎゅっと胸を締め付けられる日がこれからも続いていくことに。
寂しさは募るのが仕事なのだ。
それは決して間違いなんかじゃない。
新たな別れや人との衝突が新雪のように降り注いでは積もり続ける。それは永遠と死ぬまで続いていく。新たな出会いや繋がりは一瞬春の雪解けのように思えても、巡り巡って結局新たな寂しさを生み出してしまうかもしれない。
私がふとした時母を思い出すように、人には同じように寂しさが募り続けている。それに気付くことが出来た今、私は初めて母の愛を世の中へ返す準備を整えることが出来た気がする。
彼女はまるで見越していたかのように、私の中に言葉を残してくれた。
寂しさは募るのが仕事。
ならばそれを少しでも打ち消し合うのが、人としての仕事であっても良い。例えそれが新たな寂しさに繋がるとしても、いつか見た強かな背中に少しでも追いつけるよう、腹の底からそう思いたい。
岡本みすず