「本」を贈ること「知」を守ること
本は被災地に送らないで、というニュースを見た。
能登半島地震「被災地に本を送らないで」 日本図書館協会が異例の呼びかけ…本が「ゴミ」になった大震災の教訓から(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース
本は「贈る」であり「送る」ではない。
本は「重く」「かさばる」
いかにも本好き/本を沢山持っている・読んでいるヒトが書きそうな言葉だな、っと。だって確かにそうだから。
ただこれを読んでいて、とても心にきたのは、
「被災地には「本」で営みを立てている方々もいます。善意に基づいて大量に送られる本は、実は被災地にある書店等の「知」の経済環境を破壊します。」
本屋さんて、歩いて行けるところにあることがとても幸せで、子供たちが小さなころは、散歩の帰りにふらっと寄って絵本や子供向けの雑誌を買っていた。(結果、本好きになるかというと、これは子供の個性が絡んでくる)
最近歩いて行ける距離の近所に本屋さんが無くなってきた。我が家から一番近いのは、車で行く大型ショッピングモールの中にある全国区の本屋だ。
既に私の周りでは、
>書店等の「知」の経済環境を破壊
は進んでいるのかも知れない。
子供を育てている中では、常に子供の知的好奇心/知的探求心をいかに育てていくかを考えていたのではないかと思う。その中で、すごく当たり前のように感じていたけれど、過去の先人たちが「知」を守っておいてくれた結果、私は自由に「知」に触れることができていた、ということ。
「知」は守る意識をしなければ、崩壊していく、儚く脆いもの、であることを実感させられた記事でした。