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じいじ 保育士を目指す! 階級社会

この国は

 階級社会という明確なフランスやイギリスの様な社会ではない。という講義を受けて、それでも階級社会の度合いは薄くても、格差というキーワードを使えばそれなりに階級化が進行(拡大)している社会として、階級社会ではないよねという論調にはいささか疑問と共感はできなかった。

 その講義で教授がいうには、ハビトゥスの繋がり(隠れたカリキュラム関連で私が引用したモノ)で、日本社会における援用には慎重であるべきで、フランス社会のそれと一対一ではないという流れから階級社会の話しになった。

 そこでは階級社会における階級を構成する集団(クラスタ的なカテゴライズ可能なモノ)には文化資本としての共通因子があるはずだという。

 私からすれば、文化資本と社会資本は相互に結びつき影響を与える関係だから、厳密な分解は無理があって、教育資本(社会文化資本の一部。大学進学率とか東大やそれらの選抜システムとしての高いヒエラルキーを構成している(または、構成する事を期待する)モノを支えているモノ)の様な因子があって、持てる者と持てない者による世代間の再生産が起きているという意味で階級社会化の強度は上がっている(進行中であり、格差という形で現れている)と考えている。

 世代を受け継いでいる教育資本(簡単に言えば、教育にかけるお金がどれだけ投入し、親の学歴が世代を受け継ぐ)という意味合いでハビトゥスを使ったのだが、階級社会としては弱いというのが日本だという論には違和感を拭えなかった。

それで読んでる暇などないのだけど。。。

 を読んで、論理の補強をする。データで見れば格差は拡大し、その格差の背景として階級は存在するという事。階級という意味合いを資本、新中間層、労働者、旧中間層(農民を含む)という分類でおこなっている(違和感がない訳ではないが、貴族制度とか士農工商という意味での階級社会とは意味が違う)。更にアンダークラスという非正規労働の労働者からの分離として最下層を構成する階級ができ広がっているとする。

 格差が広がって、固定化する事(今の用語でいえば、親ガチャとその再生産)の社会的不完全性。その後に待っている社会的末期の様な未来を子どもたちの為に作ってはいけないと思うのだが。。。

 そんな事を考えてやる事やらない大学院生。。。だめじゃん。

さて、今日はこの辺で。

ピエール・ブルデュー
教育社会学社会学理論、美学の社会学に対するブルデューの主要な貢献は、いくつかの関連する学問分野(例:人類学メディア文化研究教育)、大衆文化芸術などに広く影響を与えている。彼の学問的キャリアの中で、彼は主にパリの社会科学高等研究学校とコレージュ・ド・フランスに所属していた。
ブルデューの研究は、社会における権力の力学、特に権力が世代内や世代を超えて移譲され、社会秩序が維持される多様で微妙な方法に主に関心を寄せていた。西洋哲学の多くの理想主義的な伝統と意識的に対立する中で、彼の作品はしばしば社会生活の身体的な性質を強調し、社会のダイナミクスにおける実践と具現化の役割を強調していた。マルティン・ハイデガールートヴィヒ・ウィトゲンシュタインモーリス・メルロー=ポンティエトムント・フッサールジョルジュ・カンギレムカール・マルクスジークムント・フロイトガストン・バシュラールマックス・ウェーバーエミール・デュルケームクロード・レヴィ=ストロースエルヴィン・パノフスキーマルセル・モースなどの理論に基づいている。彼の研究は新しい調査の枠組みと方法を開拓し、資本の文化的・社会的・象徴的な形態(伝統的な経済的な資本の形態とは対照的)、文化的再生産ハビトゥス、場や場所、象徴的な暴力などの影響力のある概念を導入した。ブルデューに影響を与えたもう一人の注目すべき人物は、ブレーズ・パスカルであり、ブルデューはこのパスカルにちなんで『パスカリアン・メディテーション』と題した。

Wiki

ハビトゥス (ラテン語: habitus) は、人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。ピエール・ブルデューによって用いられた[1]

Wiki

「隠れたカリキュラム」とは、学校における公式なカリキュラムとは別に、教師や仲間の生徒たちから意図せずして教わられる知識や行動の様式、性向、意識、メンタリティなどを指します。
「隠れたカリキュラム」は、アメリカ人の社会学者であるB・ジャクソンの造語で、教育学や教育社会学の分野でよく用いられています。また、「潜在的カリキュラム」とも呼ばれます。

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