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助動詞編(4) 《ごとし/ごとくなり/ごとくす》~漢文訓読のための古典文法
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【はじめに】
本企画は、漢文訓読に用いられる日本語の古典文法について、なるべく多くのことを盛り込みつつまとめたものです。 想定以上にボリュームが膨らんでしまったため、まずは次の要約版から入って頂けるとよいと思います(各種活用表のpdf版もダウンロードできるようになっております)
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1.《ごとし》
活用と接続
![](https://assets.st-note.com/img/1718061921056-EHw3a6uOB3.png?width=1200)
《ごとし》は、漢字では《如》《若》か、再読文字《猶》(なほ~ごとし)に相当する助動詞で、意味としては単純明快、「~のようだ」と訳せば、大体それで行けます。
しかし、他語との接続は複雑怪奇。
まず、「~が(の)ごとし」と、助動詞なのに、前に《が》や《の》を挟むことが、半ば義務化しています。
また、活用形が少なく、かといって補助活用があるわけでもないので、《ず》や《ん》などの重要な助動詞を続けることができません。そのため、《ごとくなり》や《ごとくす》といった派生語が生まれ、補助活用の代わりとなっています。
以上の事情があるので、単に古文や訓読文を読むだけならサクッといくのですが、実際に訓読文を作るとなると、途端に難解になる、それが《ごとし》なのです。
本記事も結局、他語との接続についての説明が主になるので、「ただ訓読を読むだけだよ」という方は、そんなに深入りしなくてよい内容となります。
ただ、《ごとし》と《ごとくなり》の違いについて、参考書には書かれていないことにも踏み込んで述べていくので、興味のある方は、以下、お読みください。
意味
「~のようだ」をベースに、必要に応じて「~と同じだ」「~の通りだ」などと訳しておけば、大抵はOK。
ただ、「例示」という少し分かりにくい機能がたまに出てくるので、その例を挙げておきます。
由の若きや、其の死を得ざること然り
⇒由(人名)のような奴は、まともな死に方は出来ないぞ聖と仁の若きは、則ち吾豈に敢へてせんや
⇒聖と仁のようなこと、大胆にも私なぞが出来ようか。
《~がごとし》と《~のごとし》の使い分け
《ごとし》は、動詞や名詞から直接続くのではなく、「~のごとし」「~がごとし」のように、上の語と続けるのに、《の》《が》を挟むことがほとんどです。
このことについて漢文解釈辞典に記載があり、大雑把にまとめると、次のようになります。
《是》《此》などと接続する場合は「かくのごとし」
体言と接続する場合は「~のごとし」
「脱兎のごとし」「水のごとし」用言と接続する場合は「~(連体形)がごとし」
「過ぐるがごとし」「信ずるに足らざるがごとし」
これらの使い分けは、後述する《ごとくなり》《ごとくす》にも通用します。
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2.《ごとくなり》《ごとくす》
《ごとくなり》の登場
本来の《ごとし》の活用は、
未然形:○
連用形:ごとく
終止形:ごとし
連体形:ごとき
已然形:○
命令形:○
となっており、未然形・已然形・命令形はありませんでした(注:未然形《ごとく》が認められるのは、かなり後になってからのことです)
しかし、それだと種々の助動詞/助詞を続けることができず不便なので、平安時代頃に《ごとくなり》という語形が現われ、補助活用のように用いられました。
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以降、《ごとし》と《ごとくなり》が併用されていくのですが、それだけでなく、サ変動詞化した《ごとくす》や、存在しないはずの活用形を用いた「ごとからず」(未然形?)、「ごとければ」(已然形?)なども、結局(一部で)使われちゃうので、まさにカオスです。
そこで、さしあたりは次の事(特に1)を押さえておけばよいかと。
【未】ごとく(んば)~【用】ごとく~【終】ごとし~【体】ごとき の系列は最重要。
1の活用でカバーしきれない助動詞等を続ける場合は、《ごとくなり》や《ごとくす》を用いる。
1の活用に存在しない形を用いた「ごとからず」「ごとければ」等は、本来破格なのでテスト等では用いないのが無難。
以下、《ごとくなり》や《ごとくす》の注意点について詳しく述べていきますが、発展的な話題だとご理解下さい。
《ごとし/ごとくなり/ごとくす》の使い分け
これらの使い分けは微妙で、原漢文では区別の無いものを、訓読の際に訓読者の判断で読み分ける、ということになります。
敢えて原則的なことを書くとするなら、次のようになるでしょうか。
能動的に「~のようにする」場合、《ごとくす》
※《ごとくにす》の形になることもある状態として「~のようである」場合
《ごとし》の活用でカバーできるなら《ごとし》
そうでないなら《ごとくなり》
ただ、これらは絶対的な規則ではありません。状態を表わす場合であっても《ごとくす》が使われることもあります。「ごとし」が使えるのに、「ごとくなり」と読んでいる場合もあります。
結局、訓読者によって、文脈の取り方とか、語調の好みなどが違ってくるので、あまり気にし過ぎないのがよいです。
「ごときなり。」と「ごとくなり。」
次に挙げるは、論語の一節「回也視予、猶父也」の訓読3通り。
回や予を視ること、猶、父のごとし。
:《ごとし》の終止形。《也》は置き字扱い。回や予を視ること、猶、父のごときなり。
:《ごとし》の連体形《ごとき》+《なり》回や予を視ること、猶、父のごとくなり。
:《ごとくなり》の終止形
これらの訓読に、意味やニュアンスの違いはほとんど無いと考えてよいでしょう。それでは、どれを使うべきなのか。
まず、せっかく文末に《也》があるのですから、必須ではないにせよ、やはり《なり》は付けたいので、「ごとし」はここでは除外。それでは残りの2つのうち、どちらか?
辞書『漢辞海』および『新字源』(ios版)で様々な用例を検索したところ、「ごときなり」で統一されています。本来の連体形《ごとき》で説明がつくのも良い点なので、本企画では「ごときなり。」を標準として扱います。
ただ、《ごとくなり》を誤りだとするつもりはありません。例えば、吉川幸次郎『論語』では、上の文を「ごとくなり」と読んでいます。
「ごとけん」について
Z会テキストのpdfに次の記載があります。
反語の句法では、 「べし⇒べからん」 「ごとし⇒ごとからん」とせず に、「べけん・ごとけん」とする。 「無し」は「無からん・無けん」の 双方を用いる。
《べけん》《無けん》は奈良時代の古い未然形《べけ》《無け》に《ん》のついた形と説明され、辞書・参考書にも載っているし、使用例も少なからず見ます。
でも「ごとけ」が、《ごとし》の未然形の古形という話はきかないし、「ごとけん」を、最近の漢文書籍で実際に使われているのを見た記憶は無いかなあ。
『精選版日本国語大辞典』によれば、平安期の漢文訓読では用いられていたそうですが、《べけん》《無けん》からの誤った類推ではないかと思います。
個人的には、確実に正用と言い切れる「ごとくならん」「ごとくせん」をオススメしたいですね。
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3.特殊語形まとめ《無し》《ず》《べし》《ごとし》
ここで、《無し》《ず》《べし》《ごとく》に現れる、特殊な語形が揃いましたので、まとめておきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1717375652833-qr0KTzJCnw.png?width=1200)
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訓読文法コンテンツ一覧
●はじめに
●要約版
以下、詳細版
●動詞編
(1)動詞の活用と接続 (2)注意を要する動詞
●形容詞編
●助動詞編
(1)る/らる/しむ (2)たり/り/き
(3)ん(む)/べし (4)ごとし
(5)なり/たり/形容動詞
●疑問文と連体形
●助詞編