選択肢
優柔不断な性格を直そうと二択の時は5秒以内に決断するようにしている、が、毎回うまく決断できるわけではない。やはり迷う。決めた後で後悔もする。ここまでくれば悩むのが好きだと思われても仕方がない。セーブしてロードとはいかないのだ。仮にそれが可能だとして、さらに迷うことだろう。大変だ。
なんでも受け入れる優しさというのは、自分自身も相手にそうされたいからくるのかもしれない。拒まなければ誰からも嫌われないでいれるのかもしれない。主体性がないと言われるかもしれないが酷い言葉を口にするよりかは暴言を吐かれた方がこんな奴と仲良くならなくていいやと諦めがつく。本当は誰にも嫌われたくはない。だが、自分という存在を蔑ろにされるのもまた苦しいのだ。面倒くさい奴だと思われたくもない。
気付いたらどうしようもなくなっていた、なんてことはよくある。気付いただけまだマシだと思うしかない。なんとか挽回できる機会があるかもしれないからだ。がむしゃらに努力するか、全て放り投げるかは個人の「選択」になる。二択だ。頑張るか、頑張らないか。自分の力でどうにかなる時は基本的にこの2つの選択肢が多い気がする。汗水垂らして努力し、根性で乗り越えていく。その果てに納得できるか、できないか。
悩める、というの同時に余裕があることだと思う。選択肢が多いのは困るけど、ないのも困る。いつかは決めなくちゃいけない。アドバイスを受けることもできるだろうけど、その場合、何か損をしてもその人を責めてはいけないなぁと思う。結局は自分の責任になる。胆力を鍛えていきたいよね。
人生とは日常の些細なことや進路などの重大な分岐点で選択の連続であり、時に後悔することもある。それでも先に進むしかない。その先が行き止まりになっていればまた別のルートを探すしかない。その繰り返し。結局、満たされることはないのかもしれない。だからこそ前へ前へ進めるのかもしれないけど。
ふと立ち止まって、自分の現在地を確認したとして、完全に納得はできないかもしれない。だが、自分の人生は自分にしか歩めない。他の誰にも真似をすることはできないのだから、誰かと比べても意味がないのかもしれない。不器用でもどうにか進むしかない。参考にはなるだろうけど。全てをなぞることはできないのだ。投影することはできるけど、その人自身にはなれない。どうしようもないね。でも、どうにかして生きていかなくちゃいけないよね。
人生の教科書なんてものが仮にあったとしても、どこか胡散臭いと思ってしまう。敷かれたレールがあれど、その上をどう走るかは定まっていない。無軌道が故に自由で、どこまでも進めるような気がする。実態は違うのに。一寸先は闇だけど、いつまでも母に手を引かれて歩くことはできない。振り返ることは必要だけど、しがみつくことは場合によって慰めにしかならない。何を守って何を壊すか、選択する時もあるだろうけど。
失敗をするのが怖い、というのが本音だ。人前でミスをしたくない、自分はミスをするような人間ではないと思いたい。思いたいが、別に全て難なくこなせる完璧な存在とも思っていない。なんというか、自分を信じているのかいないのか、よく分からない。
加藤諦三さんの
「大人になりきれない人」の心理 という本を読み終えた。書店でタイトルを見て興味を惹かれた。別の本を読んだことがあり、著者の名前は覚えていた。読んでよかったです。
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