田中
Jessicaというバンドを紹介したい。 Jessicaは愛媛県松山市発のロックバンドで、愛媛県を中心に活動している。Jessicaの歌詞は普段自分たちが何も考えずに通り過ぎるような日常を巧みに切り取り、確かな実力を備えた演奏がその言葉を装飾しているイメージだ。 まず1st mini album「Good Time」を通しで聴いてもらいたい。一曲目の「君を愛した唄」からラストの「Have a Good Time」までするりと聴けると思う。そして、そのまま2周目……と。そう
Jessicaの「夜毎のアソビ」が公開された。 ライブで聴いたことがある曲で、今回音源として公開された。ライブで聴く迫力そのまま、高揚感もある一曲だ。どうしようもない、行き場のない感情を吐き捨てるような歌詞もマッチしている。 イントロのギターサウンドにまず感動する。これから凄い音楽が始まるぞというワクワク。期待を裏切らない駆け抜けるような演奏と歌唱だ。 どんな夜であろうと一緒に踊っていたいと思わせる「君」に相手にされていないのだろうか、かつてはいい関係だったのか。ただ、
ふと、煙草を吸わなくなって2年以上経過していることに気が付いた。 かつては朝起きて一服、飯を食べて一服、音楽を聴きながら、小説を書きながら、部屋で映画を観ながら……とにかく煙草に火をともしていた。喫煙者の周りには喫煙者が多く、自然と喫煙者と行動を共にするようになった。コンビニに足繁く通い、番号を告げて買っていたが、そのうち店員さんに顔を覚えられて会計の時に箱がスッと出されるようになった。ありがたい。 喫煙者でなければ喫煙所に立ち寄ることはないかもしれない。友人が「わり、ち
日記を書くことによって今日一日をどう過ごしたかを俯瞰して見ることができる。無駄な時間を過ごしている、と思うこともあるけれど、その時の自分にとっては必要な時間だったのだろう。しかし、時間は有限である。取捨選択しなければ。 物事に優先順位をつけるのがどうにも苦手だ。上手いこと考えていかないと余計に面倒なことになる。器用になりたいものだ。 思いついたことをスマホによくメモを取るのだけれど、そのメモもだいぶ量が増えてきた。大抵は小説のアイデアや歌詞のフレーズ。いつかこれらを活かそ
サブスクが非常に便利でいいなと思う。CDでも変わらずに聴いてはいるけれど、「この曲聴きたいな」で検索してすぐに聴けるのは画期的だ。ケースの中からCDを探して再生できる機械に〜という流れが省略できる。これはゲームでもDVDとかでも一緒だ。ゲームにしてもダウンロード版を購入することが増えた。以前は形のないものに対して慣れなかっただけなのだなぁと思うようになった。結局は受け入れるかどうか、みたいだ。 ◯the bercedes menz 最近the bercedes menzと
5月に入ってかれこれ経つ。 春の雰囲気から徐々に夏の気配を感じる。暑い日もあれば寒い日もある。ガッツリ衣替えしよっかなぁ〜と思いつつ進まない。そんな感じ。 色々と楽しみな映画が多い。読みたい本もたくさんある。漫画も読みたい。ゲームもしたい。楽器の練習や作曲にも挑戦したい。 旅行に行きたいなぁ、と思うようになった。近場ではなく、行ったことがないような場所。何かしらの目的……ライブを観に行くとかのついでに観光したい。自分のペースでぶらぶら歩いて、食べたいものを食べたい。名産
待ち合わせ場所に着き、ソワソワと辺りを見渡す。有名な待ち合わせスポットだから相手を待っている人がちらほら見える。僕もその一人だ。 マッチングアプリというのを使ってみた。 興味がなかったわけではない。ただ、どこか無機質な感じがして苦手だった。一念発起して利用をし始め、相手と連絡を取り合っていくうちにこういうのも今の時代にあった手段なのかなと思えるようになった。マフラーをいじりながら空を見上げる。晴天で心地の良い風が吹いている。 耳の横を何かが高速で通過する。振り返る。コン
結論から言うとその時から今に至るまで一度もバンドを結成したことがない。組もうと思えば組めたのだろうが、続けることはきっと難しいのだと思った。思い出作りの趣味か音楽で食べる道か。時間が取れなくなったら自然消滅する関係はやっぱ嫌だ。なんて色々言葉を並べてみるけどとどのつまり勇気がなかったんだ。俺には漠然とステージに立つ姿をイメージを思い描くことはできても実行する度胸がなかった。 今もギターは弾いている。前よりか上達した、と自分では思う。けれどもギター1だけで食べていくの不可能だ
腹が減った。 すかすかの冷蔵庫の中には水と絞り果たしたマヨネーズ、賞味期限の過ぎた刻みネギがある。とてもじゃないが空腹を満たすことができない。昨日、買い物をせず真っ直ぐに帰宅してしまった。これからスーパーに行くのもいいが、財布の中もまたすかすかなのであった。 テーブルの上には学生時代から愛用している日に焼けた国語辞典が置かれている。 仕方がない。 ぼくはピンセットを手に取った。 分厚い国語辞典を掴み、台所へ向かう。蛇口を捻る。水で満遍なく濡らしていく。ぱらぱらとめく
「口実と口付け」 コンビニから出ると雨が降っていた。天気予報を信用しなかった男、瀬川は過去の自分を恨んだ。温めてもらった唐揚げ弁当を食べたい。だが、雨は一向に止む気配がない。振り返ればビニール傘が目に入る。あまり安い値段ではない。それに玄関の傘立てに同じものが刺さっている。一人で生活しているのだ、傘は何本も必要としない。となると、購入するという選択肢は消えた。次に下を向いた。格子状の傘立てがある。材質は分からない。蹴れば痛いだろう。派手な花柄の傘が一本だけ刺さっていた。
冬は鍋を食べる日が多い。キムチ鍋美味しい。最近になって豆乳鍋もいいじゃないかと思った。前々から気になっていたラーメン屋に行った。そこがまた美味かった。また行きたい。冬場は辛いものや熱いものを食べたくなる。 ハヌマーンの楽曲がカラオケで歌えるようになったらしい。これはとても嬉しいことだ。検索して出てこなかった時を思い出す。これからはカラオケで歌える。カラオケはかれこれ行っていないので、これを機に一度行ってみたいと思った。 1月に入って8本映画観た。どの映画も良かった。この間
※フィクションです 俺は俺のことで手一杯だから、俺のことを語ることにする。 俺が十二歳の時、両親の離婚をきっかけに産まれてからずっと暮らしていた家を離れた。俺は二個上の兄貴と母と暮らすことになった。若い母に手を取られ夕日の下を歩いたのを覚えている。眩しくて母の顔は見えなかったが、多分泣いていた。その涙の理由が今までの生活から解放された喜びなのか、今後を憂いてなのかは知らない。遠く離れた新しい我が家は年季の入った平屋だった。キッチンやトイレ、風呂場などはリフォームされて
何も積み上げることができないまま時間だけが経過していくことに対して、もはや焦燥感も抱かなくなってきて、でも、それでは駄目だとギリギリのところで踏ん張っているような、どっちつかずな生活を送っている。白黒ハッキリつけることを恐れているだけだ。自分の主張を表明するのってやっぱ苦手で怖い。怖いけど、みんなそれなりにこなしているように見える。そうでもないのかな? 向き不向きなんてのはいつまで経ってもあまり分からない。とりあえず数をこなして「これは無理」とか「これくらいなら大丈夫」
部屋がすっきりしていくごとに自分が積み上げてきた歴史ってものが垣間見えていく気がする。どんなものが好きだったとか、どんな勉強をしていたかとか。もう連絡先も分からない友人とのプリクラ。どこで買ったか分からないキーホルダー。ボウリングのスコア表。通知表によって突きつけられる他者からの評価。途中から買わなくなった漫画。しおりを挟んだまま先に進まない小説。色褪せた画集。去年のカレンダー。シールを貼った携帯ゲーム機。オチが分からない描きかけの自作漫画とかだ。 庭に出て空を見上げると
Jessicaの名曲、「素敵な暇つぶし」のMVがついに公開された。 かなりいい。まじでいい。待ちに待っていた。 ティーポットからカップに注がれる紅茶。誰かを待っているのだろう、部屋で机に突っ伏す女性。Jessicaの面々の演奏。夜の闇を照らすライトがまるで星のようでキレイだ。曲の雰囲気にかなり合っている。 Jessicaの曲の中で「素敵な暇つぶし」が一番好きなのでMVが観れてよかった。 このMVをきっかけにJessicaのファンがさらに増えることを願います!
部屋の掃除をしているとかつて自分が描いた漫画やイラストが姿を見せる。というか、捨てていないので当然のことだ。ぼくは自分が描いたものを黒歴史とは思っていない。読んで、この時はこの作品が好きだったのだなぁとは思うけど恥ずかしいとは思わない。それに、自分が好きなように描いたものだから好きなのは当然だろう。今描き直せばもう少しマシになるとは正直思う。でも、その程度だ。内容だって稚拙だけど、これを描きたい! という情熱は伝わってくる。時代を超えた自分にも通じているのだ、いいことではない