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すずらん(後編下)

「一樹さんに連絡されたらどうですか」というと、浩は憎々しげに
「私が電話しても出ないのですよ。妻がかけても一緒です。なんどか本人を怒鳴り飛ばしたことがあるもんで、私たちのことは嫌ってるんです」

「で、どうされたいのですか」と聞くと、浩は即座に
「あんな奴に一円だって渡したくないんですよ。早くから家を出て、勝手なことばかりして、父の面倒など一度もみたこともないくせに」と浩はしだいに興奮してくる。

「今度も義叔母から聞くには、弟が父と同居するなぞと言ってるらしいんですが、どうせ金目当てなのは分かってるんです。父も歳をとって心細くなってしまってて・・・」と、腹が立ってどうしようもない様子だ。

「妻にもこれから病院代がかさむというのに、まったく」
美代の状態は芳しくなく、起き上がれる状況ではないらしい。浩は、しだいに悪化する妻の病状の不安もてつだってか、冷静を保つ余裕は残っていないようだった。

ひとしきり話を聞いて電話は終わった。茜は家族の問題をどうしてやりようもなく、頭を抱える。

園田夫婦は父の何を心配しているのだろうか。父親の現在、また今後の生活なのか、あるいは父親の残すであろう財産の保全なのか。

後者なら、いっそ園田夫婦が同居をすれば、金目当てかもしれない弟は近づけないだろうに。また前者で父親の安寧な日常を望むのであれば、弟と姉も交えて話し合い、父の望む方向に生活を整えてやるべきだろう。

いづれにせよ、家族の問題には違いない、我々がどう考えても介入できることではなかった。それにこれは明らかに相談管轄が違う問題だ。

茜は、管理者の草香江泰子が外勤から帰るのを待ち、一連の流れを説明し判断を仰いだ。すると泰子がひとこと言った。

「左右田一郎さんには治療が必要なんじゃないの?」泰子はさらに
「音無さん、家族に振り回されましたね」と言って、いたずらっぽい笑顔を見せた。

「あ、そっか」茜は胃の腑に落ちる。あ~、またやった。目先に振り回されてしまって肝心なことを見失うところだった。

「そうでした。左右田さんは認知症より精神疾患のほうが顕著なようです」茜はようやく混とんとした気持ちが速やかに澄んでくるのを感じる。

「もう大丈夫ね」泰子の言葉に茜はしっかり答えた。
「はい。まず、訪問診療の先生に相談します。出来ればご家族と一緒に」
早急に日常生活の援助を並行して入れなくては。きちんと専門医の治療を受けながら、自立した生活の支援を目指すのだ。

一人きりではないことを左右田氏に分かってもらおう。あなたを支えてくれる人が、生活を手伝ってくれる人がこんなに身近に居ることを左右田氏に伝えよう。

人の手を頼りにするのはなにも恥ずかしいことじゃないことも。不安に打ちひしがれて判断に迷うことのないように。
後のことはそれから決めればいい。今はみんな病んでいるのだ。

春から初夏にかけて庭中のスズランが花をつけるころ、左右田氏が新しい生活を楽しみ、自信を取り戻してくれることを願って、着実に準備をすすめようと茜は思った。

毒にばかり気を取られていたすずらんの花言葉の中に「再び幸せが訪れる」とある。


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まる風太
チップ応援をいただいたことは一度もありません。予想もつきませんが、うれしいのでしょうか。責任が重くなりそうですが、きっとうれしいのでしょうね。