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シロクマ文芸部/恋猫ブルース
「恋猫と会ってもう四年か。あっという間だったな」
バー『恋猫POIPOI』の閉店後のカウンターで勇はジンに口を付けた。
「そうね。時が経つのは早いわね。…ほんとあっという間だわ」
金髪のカツラに銀のドレスの恋猫は、ブラッディーメアリーの赤いグラス
を両手で包みながら弧を描くように揺らした。
「どうした?今日は元気がないな。何かあったのか?」
「ええ…。アタシ、あなたに言ってなかったことがあるの。
実はアタシ、息子がいるの。今年高校三年生になるのよ。
ごめんなさい黙ってて。中々…言い出せなくて」
「息子?…ってことは、結婚していたのか?それも女性と?」
「そうなのよ。20年前に一度結婚していたの。バカなことしたと思っ
ているわ。アタシの心は女だってちゃんと分かっていたのに」
「じゃあなぜ、結婚なんかしたんだ?」
「父親を安心させてあげたかったの。アタシ父親が46歳の時の子供なのよ。
それでアタシが27歳を過ぎた頃からしきりに孫が見たいって言うように
なってね、ごまかしてうやむやにしてたんだけど、ある日父親にガンが見
つかって、余命一年を宣告されたの。それでなんとか父親の願いを叶えた
いと思って、知人の女性に頼んで結婚してもらったの。その時はまだアタ
シがこっちの人間だって打ち明けてなかったから、一応夫をやって、頑張
って子供も作ったの。けど妊娠7ヶ月目の時に父親が亡くなったら、本当
の自分を隠してたことが急に申し訳なくなってね…。奥さんに謝って、も
う続けられないと土下座して離婚してもらったの。本当に身勝手よね。だ
からアタシ、一度も息子に会ったことがないのよ。写真を時々送ってくれ
るから、画面越しでしか顔を知らないの。父親らしいことを何一つしてや
らなかった。せめてものできることとして毎月10万円を養育費として送金
していたけど、それぐらいしかしていないの」
「そうか…。初耳だったよ。それでどうして急に打ち明けようと思ったん
だ?」
「実はね、息子が今度アタシに会いに来るのよ。元奥さんに会ってくれって
頼まれたの。アタシの息子ね、小さい頃からサッカーのクラブチームに入
ってて、高校もサッカーの強豪校に推薦で入学したんだけど、去年試合中
に膝の靭帯を断裂する大怪我をしてしまって、それから思うようにサッカ
ーができなくなって、生活が荒んでしまったらしいの。推薦で入学したか
ら肩身が狭いのね。学校も休みがちになって、心配した奥さんがアタシに
相談してきたの。父親として言葉を掛けてくれないかって…。アタシも息
子のためになるなら何でもしてあげたいと思うんだけど、アタシに会うこ
とで息子を余計苦しめるんじゃないかって気がするの。だってこんな姿の
父親いる?あなたならどうよ?初めて会う父親がこんなんだったら戸惑う
し、拒絶したくなるでしょ?」
「まあ確かに185センチの元アメフト部がスパンコールのミニスカートと金
髪のカツラでパパだよって現れたら驚くかもしれないな。けど母親の提案
を受け入れたのなら息子も父親に会いたいんだよ。君だって会いたいから
悩んでるんだろう?毎月10万払い続けるなんて中々できるもんじゃない。
ちゃんと父親らしいことをしてきた。君のお陰で大きくなったんだ。堂々
と会ってやれよ。ずっと、思い続けてきたんだろう?」
「でもアタシが父親と名乗っていいのかしら。アタシ一度もあの子のおしめ
も取り替えていないし、学校の式典や行事にも参加していないのよ。誕生
日やクリスマスにプレゼントを送ってはいたけど、父親の役目ってそうい
うことじゃないでしょ。あの子が寂しい時に側にいてあげなかったわ。
十七年間なにもして来なかったのに、今更僕が父親だよ…なんてどの面下
げて言える?どんな風にして会えばいいのか分からないわ」
「会いたかったって顔して会えばいいのさ。今更なんてないよ。彼の父親は
君しかいないんだから」
「でも遅すぎるわよね。アタシ一度もあの子を抱っこしていないのよ。
十七歳の男の子なんて、もう抱っこできないわ」
「抱っこは無理でも抱きしめることはできるよ。少しも遅くなんかない。
奥さんはきっと息子さんの前で一度も君を責めたり悪く言ったりしなかっ
たんだろう。だから弱っている今父親を頼りにしているんだ。できた奥さ
んじゃないか。誰より君を父親と認めている。なのにまた逃げるのかい?
君の子ならきっと優しい子だ。恥ずかしがるかもしれないけど、彼を愛し
てる君の気持ちをわかってくれるよ」
恋猫は小さく頷いてそっと目頭を拭った。勇はUの字に開いたドレスの
広い背中をそっと撫でた。
「勇ちゃん、今夜はアタシが奢るわ。おでんでも食べに行こうか」
「いいね。熱燗で一杯やるか。前祝いにパーっとな。ところで息子さん、
名前はなんて言うんだい?」
「ハジメよ。あたらしい、の新って書いてハジメ。いい名前でしょ?」
「ああ。いい名前だ。すごく。じゃあ父子のいい関係をはじめなきゃな。
おでんはおれが奢る。ハジメにいいもの食わせてやれよ」
二人が店を出ると、冷たい空気が肌を刺した。身を縮めて歩きだした
路地裏で野良猫が盛んに鳴いていた。発情の雄叫びだった。
「おやおや。こっちでも恋猫が鳴いてるぞ。もうそんな季節か」
「歌ってるみたいだわ。エネルギッシュでMERRYWEATHER & CAREYみ
たい。ふふ。発情期の猫ってブルースシンガーなのね」
「もう少し先で梅も桜も咲くな。芽吹く前が一番寒いからな」
寄せ合う体に近づく春の予感を吸い込んだ。スイングするような足音が、
しゃがれたブルースと夜道でセッションしていた。
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こちらの企画に参加させて頂きました。
家の近くに猫の集会所があるのでそろそろ合唱が始まりそうです。
お読み下さりありがとうございました🤗🐧
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