理性よりも感性
人間はよく「理性があるから他の生き物と異なる」という。本当にそうだろうか。そもそも理性を発達させた結果、我々は精神的に豊かになったのだろうか。縄文時代の日本人(日本で生きていた人)は確かに我々よりも寿命は短かった。しかし、彼らの人生は幸福で満ちていたのかもしれない。我々はいたずらに命の時間を伸ばしているに過ぎないのではないか。まるで生命維持装置でかろうじて生かされているように。
人間が他の生き物よりも優れているのだとしたら、それは感性が豊かだからなのではないか。特に何かに感動することができるのは人間特有であるように感じる。私は世の中のことをもっと知りたい。そういう知識欲は確かにある。しかしそれと同じくらい、もしくはそれ以上に、たくさんの感動に出会いたいと思っている。それは創り出す側でもあり、受け取る側でもある。
理性を伸ばしても、我々は幸福にたどり着いていない。ならばもっと感性を伸ばしていこうじゃないか。結局我々が幸せを感じるには、その感じ方を多様化させるか、質を上げていくしかない。清少納言は間違いなくその両方が高かった。冒頭部分を読むだけでも、日々の生活に対する満足具合が読み取れる。感性の充実化。これこそが我々の幸福に直結するのではないだろうか。