30年ぶりに野球の試合を観た ワールドシリーズ観戦とわが家のチャンネル権争い
にわかで申し訳ないのだが、私は大谷翔平のドジャースでの活躍を通じて、30年ぶりというくらいに、野球の試合を最初から最後まで通しで観るという体験を得ることができた。
森監督率いる、西武ライオンズ黄金時代。対近鉄バッファローズとの激しい優勝争い時代(恐らく1988年)以来の観戦であるから、私にとってはほとんど事件である(笑)。小学生だった私は、埼玉県出身ということもあり、ライオンズファンであった。
その当時、小学館の『コロコロコミック』で『かっとばせ!キヨハラくん』という漫画の連載もあり、ライオンズはパ・リーグの中で唯一、ジャイアンツには対抗できないまでも、人気を誇るチームだったと思う。パ・リーグはライオンズ以外の球団の試合は、ほとんど閑古鳥状態であった。人気のセ・リーグ、実力のパ・リーグと呼ばれるような時代があったのだ。
1987年、森監督のライオンズと、王監督のジャイアンツの日本シリーズは、ライオンズが勝ち、二年連続で日本一に輝いた年であった。アンチジャイアンツであった私の喜びといったらなかった。プロ野球の記憶は、そんな時代にまで遡らねければならない。
中学生になってからは、野球への関心はとたんに失なわれた。ちょうど、Jリーグが設立された時代と重なる。1993年に、初めてJリーグの試合が行わた。最初の試合は、国立競技場で開催されたヴェルディ川崎対横浜マリノスで、その初試合がテレビ放映された時の熱狂ぶりといったらすさまじかった。少年たちの憧れのスポーツとして絶対的な地位を不動のものとしていた野球から、少しづつサッカーへの人気が移行していくという時期であったと思う。
私もその人気に相乗りして、横浜マリノスが好きだった時期もあったが、一瞬だった。受験勉強が重なり、スポーツ全般への関心が失われていくのであった。プロレスが唯一の例外であった。私の中でプロレスへの関心は、物語や創作への関心と地続きである。だから、スポーツというスポーツへの関心は高校生の時にはもう途絶えていたのである。
そんな私が、テレビで野球観戦する日が来るとは・・と自分でも驚きを隠せないでいる。
前置きが長くなったが、私がついに観戦することとなった野球の試合とは、ナショナルリーグのリーグ優勝決定シリーズ、ドジャースVSパドレスの第5戦。大谷翔平と山本由伸が先発出場したドジャースと、ダルビッシュ有が先発登板した試合である。
ドジャースが2対0で勝ち、対戦成績を3勝2敗として、3年ぶりにリーグ優勝決定シリーズ進出を決めた試合なのだが、日本人投手対決ということもあって、注目度が高い試合であった。
先に3勝した方が次のステージに進む。どちらも負けたら終わりの試合のため、大谷翔平の活躍をずっと見ていたかった私は、この日、息を呑んでこの試合を見守ることになった。
試合は投手戦である。山本由伸は、シーズン中は打たれているイメージがあったので、本当に大丈夫なのか? という不安は正直あった。だが、そんな周囲の思いを払拭するような完璧な内容であった(素人目です)。一方のダルビッシュも、完璧な立ち上がりだった。
しかし2回、ダルビッシュはキケ・ヘルナンデス選手にレフトスタンドのソロホームランで1点を先制された。たった1球のミスが、命取りになるのである。しかしダルビッシュは、そこから崩れるということもなく、次々とドジャースの猛者を封じこめていく。
ドジャースの最初のその1点のみで、試合はずっと1-0のまま、均衡状態のうちに進んでいく。その均衡が破れたのは、7回になってからである。ダルビッシュはドジャースの4番、テオスカー・ヘルナンデスにソロホームランを打たれ、追加点を奪われる。これも、1球のミスである。これでダルビッシュは降板となり、ドジャースがそのまま逃げ切り、勝利する。
なんという世界だ、と呆れた。山本由伸とダルビッシュだったからこそ見せてくれた試合なのだと思うが、ほんの数ミリレベルのミスが、試合全体を左右してしまうのである。まるで、やるかやられるの格闘技のような緊張感があった。こんな抜き差しならない状態での、ピッチャーの精神状態たるや。私なんかだったら、想像しただけでも発狂してしまいそうだ(笑)。
これが野球か、これがメジャーリーグか、と私は唸った。興奮のあまり、観戦のお供であるビールが美味くてたまらなかった(笑)。
その後、ドジャースがワールドシリーズへと進出し、アーロン・ジャッジがいるヤンキースと対峙する。もう、ワクワクしかなく、私はまさに、西武ライオンズに熱狂していた頃のような少年に戻っていた。
このワールドシリーズもまた、勝負の分かれ目は、「ミス」であった。ヤンキースのミスが積み重なり、ドジャースが最後、勝利をおさめ4勝となり、優勝となる。
残念ながら、このワールドシリーズにおいては、大谷翔平の活躍はやや控え目であったが、それでも、フリーマンが確変していて、その劇的かつ豪快な逆転勝利に魅了された。フリーマンだけでなく、ベッツがいて、テオスカー・ヘルナンデスがいて、キケ・ヘルナンデスもトミー・ヘドマンも、みながいい仕事をする。このチームは、個だけが突出しているばかりでなく、組織として大きな力を発揮するチームなのだと思った。
ところで、このワールドシリーズは、地上波で放映されることとなり、テレビがあるリビングで観る必要があった。この時ばかりは私も準備万端だったのだが、ちょっとした障壁があった。(パドレス戦も地上波で観たのだが、家族が不在だったため、この時は何の問題も発覚しなかった・・)
リビングには家族もいるのであった。普段、野球など少しも観ない私が、「ワールドシリーズが観たい」と主張すると、家族のしらけた反応がかえってくる。
「え?」と娘。
「は?」と嫁。
テレビのチャンネル主導権は、常に、娘か嫁にある。私にはその権利は一切ないのだ(笑)。そんな私が珍しくチャンネル権を主張してくるものだから、家族も面食らったのだろう。
瞬時に沸き起こった「えーーーーーーーー」というブーイングに対し、私はひるまなかった。普段、一切の権利を主張せず、あなた方の好きなようにさせているのだから、この日ばかりは私の好きにさせてくれないか、と抵抗したのだ。
「ネットで見ればいいじゃん」と妻。
「ネットじゃ、ちゃんと見れないんだよ。今しかないんだ、今しか」と私。
「どれくらいかかるの?」
「わかんないけど3時間くらい」
「ええええ・・・・」
「いいじゃん、普段おれがどれだけ、譲っているかを考えてみてくれ」
あまりにも私がむきになるものだから、嫁も娘も観念したのか、二人して寝室に引っ込んだ。
私はふと、高校生だった時、ジャイアンツ好きだった父に、むりやりチャンネル権を奪われた出来事を思い出した。夕食時に、バラエティを見ていた時であった。風呂からあがってきた父が、剣幕な顔をして「ジャイアンツの試合があるんだ。野球に変えろ!」と真っ赤な顔をして怒鳴ってきたのであった。
私と、その時一緒にいた弟は何も言えなかった。今の時代と違って、私たちは父に口ごたえをしたり、抵抗するということは、よほどのことがない限りできなかった。テレビくらいで、そんな抵抗権は使いたくないと思ったのか、私たちはすんなり従った。だが、あまりにも理不尽だと思った(笑)。なんで野球を観ることくらいでこんなにむきになっているんだ、と父の心理がまるで理解できなかった。
だが、今はそれが少しわかるかもしれないと思った。結果をきくとかニュース番組でダイジェストを観るではダメなのだ。
今、たった今。刻一刻と移り変わる、今という「空気」を感受しないと野球はダメなのだ(これはなにも野球に限らないが(笑))。ドジャースの試合を通じて、そんな野球のひりひりとした魅力を知ることになった。
来年も大谷翔平の活躍が増すことで、地上波での試合の放映も増えるかもしれない。そうなった時のチャンネル権を、私はどこまで行使できるだろうか。今から心配である。
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