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宗教や信仰についての雑記 #72

◯10%の希望

ジョルジュ・ベルナノスというフランスの作家の言葉に「信仰とは90%の疑いと10%希望である」というものがあるそうです。

信じるということは、つまりはわからないということなのだと思います。
わかることでしたらそれは、信じるのではなく納得するということでしょうから。

わからないということには常に疑問がつきまとい、それが消えることはありません。それは言い換えれば不安定ということでもあります。
食べ物が喉の奥の方に引っかかったまま、いつまでも落ちてゆかないような、そんな腑に落ちない、釈然としないような、モヤモヤしたままのような、そんな不安定な状態が続くこと。
信じるということにはそのような側面があると思います。

どうやら、信仰を持てば心理的な苦悩がすっかりなくなる、というものでもないようです。すべてを一度に解決できる魔法の杖のようなものは存在しないのでしょう。
マハトマ・ガンジーは「良きものはカタツムリのように進む」と言ったそうですが、それが現実なのだと思います。
そこで必要になるのが、以前の投稿(#62)で書いたネガティブケイパビリティなのでしょうが、それをどれだけ持てるかには個人差があります。

我々人間には様々な能力や性格の多様性があります。それは絶えず変化する環境へのリスクを分散させるために永い進化の過程で獲得したものです。ですからその中ではときに、能力差や格差や不適応が生じて苦しむことになります。それは生物として生き残るのに必要な多様性の代償であって、我々人間が存在することの代償でもあります。誰もがその代償を背負っているのだと思います。

また、以前の投稿(#31)で、はじめから「私」という存在の奥底にまで「願い」が織り込まれて生まれてくる、書きました。
その「願い」の根拠が、誰もがその存在の代償を背負って生きていることのような気がします。
そしてその織り込まれた「願い」こそが、ベルナノスノ゙言う「10%の希望」であるように思えるのです。

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