宗教や信仰についての雑記 #62
◯ネガティブケイパビリティ
先日、浄土真宗の何かのサイトで、人は幸せになろうと思って生きているのにそうならないのは、「あの人のせいだ」とか「社会が悪いんだ」とかいった愚痴ばかり言っているためだ、と書いてありました。
それを読んで先日の投稿(#52)で書いた、認知バイアスが影響しているのかな、と思いました。
そう思ったところで、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を思い出しました。
これは、不確実なものや未解決のものを受容する能力、あるいは容易に答えの出ない事態に耐えうる能力のことで、英国の詩人ジョン・キーツが称えたものです。
我々を取り巻く状況は、様々な要因が重なって生まれたものであり、特定の人や集団にその原因のすべてを帰することはできないはずです。
しかし人間の認知能力には限界があり、すべての要因を把握することは不可能です。そのため脳の負担をできるだけ軽くしようとして、物事を単純化して捉えてしまいます。
でもそのことが愚痴となって、他者だけでなく自分自身をも害してしまうならば、やはり物事を単純化して捉えないようにしたほうがいいのでしょう。
そのためには、わからないということを受け入れて耐える能力であるネガティブケイパビリティが必要となります。
そのネガティブケイパビリティを育むのはなかなか難しいようですが、その助けとなるもののひとつが人生への信頼であり、それは即ち信仰なのだと思います。
特にどの宗教と特定しなくても、何かに護られている、人生のすべてのことに意味があると思えれば、容易に答えの出ない事態や未解決のものを受容して耐えることができるのでしょう。
ならばその信仰や人生への信頼をどうしたら得ることができるのかと問われたら、今のところ何も答えられないのですが、その答えにつながりそうなことを少しずつでも考えてゆきたいと思っています。