宗教や信仰についての雑記 #51
◯失われた未来
「失ったものの大きさは、与えられていたものの大きさだった」という言葉をあるサイトで知りました。
少しですが、目から鱗が取れたような感じがしました。
確かにこの言葉の通り、喪失体験による深い悲しみは、与えられていたものの大きさに気づくことでもあることだと思います。
大きな恵みを与えられていたということは、見方を変えれば、未来への信頼を与えられていたということでもあるように思えます。
そしてそれが失われたとき、信じていた未来、思い描いていた未来は過去のものとなってしまうのでしょう。
悲しみを乗り越えるということは、そこからもがくようにして、這いつくばるようにして、長い時間をかけて新たな未来を描き出すことなのかもしれません。
でも、もし可能であるならば、過去にしまい込んだ「失われた未来」を、どんな形でもいいから再び描き出して、誰かに伝えてみるのはどうでしょうか。
その再び描かれた未来像が誰かの琴線に触れて、形を変えてでも引き継がれるかもしれません。
無論その可能性は非常に低く、ごく僅かなものでしかないでしょう。
でも今は誰でも情報を発信できる時代ですから、その可能性を多少なりとも引き上げることはできると思います。
またそれを伝えることにより、それまで気づかなかった恵みを気づかせることもできるでしょう。
過去にしまい込まれていた未来像を、再び未来へ向けて照射すること。
それが伝わったとき、過去の悲しみは未来へとつながってゆくのだと思います。
ちなみに私がしまい込んだ未来像は、個人や弱者が抑圧されない社会が少しずつでも広がってゆくこと、です。