宗教や信仰についての雑記 #244
◯アイデンティティの輪郭線
前回の投稿で、人間の限界や弱さへの視点を欠くことのリスクについて書きました。
このような視点を持つことは、それらのリスクを回避するだけでなく、我々の存在の根本的なところと関わっているように思います。
人間は、身体的な限界だけでなく、知覚や認知の限界も抱えています。この有限性を自覚し、ありのままの自分を受け入れることことは、自分自身を客観的に捉え、より深い自己理解へとつながります。
つまり、人間は自分自身の限界を認識することで、自己のアイデンティティを形成するのです。
それは、身体的な限界や精神的な弱さを受け入れることで、他者との関係性や社会的な役割を再評価したり、他者への共感や寛容さにより社会の多様性を育んだりする、といったことだけではありません。
我々の認知能力には、人により程度の差はあれ限界があります。我々の認知の外側には未知の領域が広がっています。それ故、我々の自分自身や世界についての知識や認識は、無知によって縁取られているのです。認知の限界という輪郭線によって、我々という存在は形を与えられています。
もし我々が無限なるものであったならば、形のないのっぺらぼうとなってしまします。
そのよう己の限界によりアイデンティティが形成されているならば、それは決して不動のものではありません。
我々は常に新たなことを経験し、新たな知識に触れています。そのことにより我々の無知の境界線は常に形を変え、我々のアイデンティティも変化してゆきます。
ときに人は、一度定まった自分のアイデンティティが失われることを恐れます。
それは、誰しもが持っているはずの限界や弱さへの視点を見失ってしまうことが、その要因の一つとなっているのではないでしょうか。
そのことを忘れないでいたいと思います。