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宗教や信仰についての雑記 #339
◯現代社会の中での宗教への向き合い方
前回、宗教依存からの回復支援を通して見た、現代の宗教の在り方について考えてみました。
今回は、現代社会の中での宗教への向き合い方について考えてみたいと思い、調べてみたところ、以下のような事柄がありました。
・多様な価値観への理解と共存
・自己責任と自立心の育成
・宗教活動とその他の活動とのバランス
・批判的思考と情報収集
・倫理観の涵養
以上の事柄は、前回書いた宗教の在り方と重なる部分が多いようです。
ただ私はその他に、宗教リテラシー教育が重要なのでないかという気もします。
宗教リテラシーとは、宗教に関する知識や理解、そしてそれを基にした批判的思考能力のことです。
現在、その宗教リテラシーの教育はあまり行われいないようです。その原因には以下のようなものがあるそうです。
・世界には多様な宗教が存在すること
・公立学校では中立性が求められること
・教師自身の宗教に関する知識の不足
・時間的な制約や教材の不足
・世俗化の進展による必要性への疑問
以上の事柄に対する解決策としては、教師への研修、教材の開発、社会に理解と協力を求めることなどがあります。
ところで、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、その著書「職業としての学問」の中で、ある学問を学んだり研究したりする意味自体は、その学問体系の中にはないと述べています。
つまりそれは、学問の存在意義自体はその学問の中には存在せず、そのような価値や意味は個々人が自分で見つけなければならないということだと思います。それが個人の自由ということでもあるのでしょう。
現代社会は価値観が多様化しているとよく言われます。それは個人の自由が尊重されてきた当然の帰結なのだとも思います。その中で私たちは、自分の意志と力で、自分の価値観を見つけるか作り出すかしなければなりません。
フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルは「人間は自由という刑に処せられている」と言ったそうです。私たちは、自由とは刑罰の如く厳しいものと、自覚しなければならないのかもしれません。
宗教リテラシーの教育の問題への解決策はいくつかあるようですが、それに加えて、その目的のひとつである批判的思考能力の涵養には、上記ような自由への理解が欠かせないとも思います。
なお、宗教に惹きつけられる人々の典型的なタイプには以下のようなものがあるそうです。
・不安やストレスから解放された心の安定を求める人
・孤独感を解消できるコミュニティを求める人
・精神的な自己成長を求める人
・人生の意味や目的を探求する人
以上のタイプは決して固定されたものではないでしょう。
誰にでも苦しい状況に陥る可能性はあります。そんな時には、その不安や孤独感を何とかしたいと思ったり、その苦悩の意味を探したりすることもあるでしょう。また、素晴らしい人格者と出逢い感化されて、そんな人になりたいと思うこともあるかもしれません。
そのように宗教に惹きつけられる可能性は誰にでもあると思います。そんな時のためにも私たちは、宗教リテラシー、さらには自由への自覚を普段から身につけておくべきなのではないでしょうか。