宗教や信仰についての雑記 #240
◯ゴミの中に宇宙を観る瞑想
前回、私は日常の些末な雑事に対して、「つまらない」とか「くだらない」とか思ってしまうことが多く、なかなかその癖が治りません、ということを書きました。
そんなことを考えているときに、目の前にゴミ箱があるのを見て、ふと、「ゴミの中に宇宙の歴史を観る瞑想」みたいなことを思いつきました。
燃えるゴミには、太古から生きている、光合成をおこなう緑色植物の、枯死と芽生えを繰り返した悠久の歴史が宿っています。
プラスチックゴミには、これも太古に生きた動植物の生と死、そして幾重にも積層した大地の中での化学的な変化の歴史が宿っています。
それ以外の不燃物などのゴミには、太陽系が生まれる遥か以前の、無数の恒星の中で進行した核融合反応による元素合成の歴史が宿っています。
これは燃えるゴミやプラスチックゴミにも共通する根源的な歴史です。
なぜこんなおかしな瞑想を考えたかというと、普段から「つまらないもの」「要らないもの」「汚いもの」などと見られているゴミにも、太古の生命と宇宙の久遠の歴史が織り込まれているのだと観じることにより、宇宙の壮大な物語を日常の些細な物事の中に見出すことが可能にならないか、と思ったからです。
ゴミの中にさえも宇宙の歴史が宿っているのなら、私のこの「つまらない」と思える日常も宇宙と繋がっているのだろう、そう思って日々を前向きに生きてみたいと願っています。