小説|腐った祝祭 第ニ章 4
翌朝、サトルは一人で目を覚ました。
時計を見ると9時を過ぎている。
なんだ。
ミリアは起こしてくれなかったのか。
もぞもぞとベッドの上で動いて、ベッド脇のテーブルに手を延ばす。
水差しからグラスに水を注ぐ時、少しテーブルにこぼしてしまった。
一杯の水を飲んで喉を潤すと、自分が着替えないまま眠ったことに気が付いた。
上着さえ脱いでいなかった。
「よく眠れたな」
自分であきれて、上着を脱いでタイも外す。
服には酒の臭いがすっかり染み込んでいる。
これではミリアだって近付きたくはないだろう。
きっと、起こさなかった理由は他にもあるのだろうが。
サトルは伸びをしてベッドから降りた。
見ると、ナオミの立体パターンがひっそりと佇んでいる。
「ああ、おはよう」
サトルは微笑んでそう言った。
ナオミと同じ高さの、ほぼ同じ形の体を抱きしめる。
「そんな格好で私を誘惑する気かい?悪い子だね。何か着るものを持ってきてあげよう」
衣裳部屋からベージュのワンピースを選んできて着せると、まるでナオミのような形が出来上がった。
首の部分に銀色の金属で蓋をされて、その続きがないのは残念だ。
「私はこれから風呂に入って、そのあと仕事をしないといけない。朝食はもういらないな。昼にまとめてしまおう。帰りは何時になるか判らないけど、いい子で待ってるんだよ。じゃあ、行ってきます」
ナオミはそれから度々衣装を替えては、いろんな場所に出没した。
それは居間であったり、図書室であったり、食堂であったり、廊下の途中であったり。
一度、ミリアの悲鳴が館内に響いたこともあった。
彼女が屋上へ続く踊り場でそれを見つけた時だ。
薄暗い場所で見たそれは、どうもナオミそのものに見えたようだった。
サトルは「悪かったね」と謝ると、ナオミを担いでゲームルームに運び、玉突き台の傍に立たせた。
四月に入っても、サトルはナオミをいろんな場所に移動させることをやめなかった。
ある日、クラウルが思い切るようにして、サトルにカウンセリングを勧めた。
サトルは鼻で笑った。
「なんだい、クラウル。君は私が狂ったとでも思ってたのか?バカだな。私はあれがナオミじゃないことくらい判ってるよ。大丈夫。ただの気まぐれだと思っていてくれよ。そんな深刻な話じゃないさ」
中庭にリラの花が咲くと、サトルはナオミをその前に連れて行った。
しかし、その日だけは、サトルの気持ちはざわめいていた。
甘い香りが体に染み込み、何故だかいたたまれない気分になっていた。
そして苛立ち、怒りが込み上げてきた。
夜になって、寝る前にミリアにホットウィスキーを作ってもらった。
何となく体が冷えている気がしたからだ。
ミリアは耐熱グラスに入れたそれを手渡しながら、遠慮がちに聞いた。
「サー」
「なに?」
グラスに口を付ける。
リラの甘さを忘れさせるいい香りが顔を包んだ。
「あの、今日はナオミ様のお姿が見当たらないようですが」
「ナオミのパターンだろ」
「すみません」
「彼女は外にいるよ」
「え?」
「リラの木の前に立ってる。ずっとそこにいればいいんだ。いつも傍にいるって言ったくせに、私を置いて行ったんだからな。フン。嫌な女だ。嘘つきは嫌いなんだ」
サトルはそう言うと、テーブルにグラスを乱暴に置いてベッドに潜った。
少ししてミリアがグラスを片付ける音がして、ドアが開き、ドアが閉まる音がした。
サトルは毛布にしがみつくようにして体を丸め、目をつぶる。
チョコレートブラウンのワンピースを着て、庭に立つナオミが頭に浮かんだ。
淋しそうにこちらを見つめていたが、そのうちそれは微笑みに変わる。
優しく微笑んでいた。
何が可笑しいのか、ナオミは口に手をあてて笑いだした。
それから何かに気付いたように、後ろを振り向き、上を向いた。
ナオミはリラの花を見上げていた。
そして深呼吸をした。
サトルは毛布を跳ね除けると、部屋から飛び出した。
廊下の途中でミリアとすれ違ったが、サトルは気付かなかった。
中庭に走り出て、ナオミにしがみつく。
「戻ろう。風邪をひいてしまう。すまない。私が悪かった」
呟いて、ガラガラとパターンを引きずって部屋に戻った。
途中でミリアや他の女中やクラウルが廊下に立っているのが判ったが、何も言うことはなかった。
翌朝サトルは教会に電話をし、ナオミの墓地を掘り返す許可をもらった。
立体パターンの支柱を外して、ワンピース姿のそれを抱えて一人で教会に行き、牧師と修道士の手を借りて墓を掘り返し、棺にパターンを納めて再び埋葬した。
それから銀行に行って、自分の口座から教会の口座へ、寄附のためにかなりの額を移動させた。
その日は大使館の人間とは一言も言葉を交わさなかった。
それからサトルは無口になり、ギリヤ街に出かけることもなくなったし、パーティーにもでかけなくなった。
どうしても必要な会議には出かけたが、ほとんど口は出さなかった。
仕事をしていない時は、リラの木の根元に座り込んでいた。
つまり、ほとんどの時間を木の下で過ごしていた。
雨の日は傘を差してまで座っていた。
クラウルはとうとう、サトルには断らずにカウンセラーを呼び、本館の会議室でサトルに引き合わせた。
サトルは仕方なく相手に対してつまらなそうに受け答えをしていた。
つまらなそうではあったが、かなり饒舌だった。
いつも通りのサトルの、機嫌の悪い時の態度だった。
クラウルはカウンセラーから、「特に心配するようなことはありません」という回答をもらった。
クラウルは、カウンセラーはサトルに騙されていると感じた。
しかし、サトルから言われた。
「心配するなよ。頭ははっきりしてるよ」