見出し画像

中2of中2だったあの日のぼくを愛おしむ時はいま〜Bon Jovi "Homebound Train"〜

中2の夏。Bon Joviに出会う


37年前の話。1988年の夏。
ぼくは中学2年生だった。
当時は東京の町田市に住んでいて、神奈川県内の男子中学校生。
こんなような中2でした↓

  • 合わない運動部をいやいや続けていた(のち退部)。

  • ファンタジー雑誌『ウォーロック』と投稿誌『ファンロード』を定期購読していた。

  • Gペンやインクなど、イラスト描き用の画材を買い揃え始めていた。

  • ゲームブックにひとり興じていた。

  • 『ジョジョの奇妙な冒険』のジャンプ誌上の掲載位置に一喜一憂していた(ここ20年ほどの世界的評価樹立からは信じられないと思いますが、第1部〜第2部当時のジョジョって「すわ打ち切りくるかっ?!」と思わされるほど掲載位置=読者投票順位が低かったのです)。

  • マスターベーションに耽っていた(今もなんも変わらないやつw)

  • 男子校で環境的にはいっさい女っ気はない。だが密かに、「女子と文通」をしていてそれが生活の彩りだった(あ、最低なことにオカズにしてたから「性生活」にも彩りだった、間違いない)。


そしてこの年代あるあるというか誰もが通る道というかで……、

  • 洋楽なるものに興味を持ち始めた。

週末の土曜、予約録音した辻仁成のオールナイトニッポン月曜第2部を、ダイクマで親に買ってもらったミニコンポで聴いていたとき。
辻仁成「これアキヤマ(ANNのラジオディレクター?)も俺もかっこいいんじゃないってよく聴いてる!ボンジョヴィで、『ボーントゥビーマイベイビー』!」

「にゃーにゃーにゃー!
("Born To Be My Baby"の出だしのカウント。絶対ににゃーにゃーじゃないにゃー)ららうなーなな、なーなななーなー!♪」

 一瞬で虜になった。
この曲かっこよすぎ!
音楽雑誌も買っておらず予備知識ゼロの中2俺、キラキラ王子然としたジョン・ボン・ジョヴィのビジュアルなど、知らぬ存ぜぬで。
当初、黒人さんがヴォーカルかなぁと思い込んでたっけ。

Rainy Night and We worked all day

Bon Jovi  "Born To Be My Baby"の歌詞より引用

この歌い出しに、「黒いフィーリング」を感じてたと思う。
けど先入観取っ払って聴けば、それってそこまで的外れじゃない気もまあ、する。

週明け、クラスで、洋楽聴いてそうな友人にさっそく
「しってっかなー、ボンジョヴィってバンド」
とカマをかける。

全然知ってた。
あ、有名なんだ!と認識。
そして数日後、ぼくが渡したハイポジ60分カセットテープに『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』をダビってもらう。
(注:「ダビって」=カセットテープにダビングして)
とくに「リヴイン・オン・ア・プレイヤー」を巻き戻し、巻き戻し、聴き狂う。

文通相手のあの子に、一刻も早くBon Jovi聴いてる俺を知らせナイト


時系列前後して、もう"Born To Be My Baby"最初に聞いた翌日の日曜とかに、手紙を書いていた気がする。
もうディティール一切思い出せないけれど、勢いとしてはその推理で正しそうだ。

文通相手は、T.Yさん。
1年間通っていた小田急線某駅が最寄りの(線が分岐していく駅)塾で、クラスが一緒だった。
ちょっと「北の国から '87初恋」の横山めぐみに似た女の子。
つまりマジヤヴァイくらい可愛いぜ♪ってことだ。
彼女は、地元の公立中学に通っていた。
どうして文通にこぎつけたのか、重要なことなのにまったく思い出せない。
でもとにかく当時、俺か誰かがグッジョブしたはずだ。
(残念ながら、)Tさん発で始まった文通じゃなかったのは間違いない。


「……ところでTさん(苗字呼び)、先日、深夜ラジオを聴いていたら(生放送では聴いてないけど予約とは書かない)、カッコいい曲を発見しました。
彼らの名は『ボンジョヴィ』、知っていますか?……」

Tさんの返信で、Tさんも Bon Joviを知っていること、(ぼくが友人からダビられ入手した)『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』を愛聴している、とあった。

その頃の中学生、日本中でそんなだったのかも(雑。けど、ほんと、そうかも)

New Jersey発売と、不穏になる心


9月。
憂鬱な新学期開始、次の週あたりか。

とうとう彼らのニューアルバム『New Jersey』(日本版)のレコード&CDが発売される。

CD買いました。町田の、久美堂書店の数軒隣にあったレコード店で。

『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』ダビってくれた友人に、ダビ返す。
(相互扶助組織)
ほか、何人かに。

また時系列前後して。
事前に、Tさんへの手紙に書いた。

「発売日に買うから、カセットで送ろうかな?」

そしたらTさんめ、
「同じクラスの人が同じく発売日で買ってダビングしてもらえるから大丈夫!」

そこで、突如、嫉妬が発動。

は、はぁ……?「同じクラスの人」だと……誰よ、そいつ……

間違ったアピールこそ、中2マインド。愛おしいしかない。


それ以降。
すこし、イラッとした気持ちを、Tさんに持つようになってしまった。
やや無理目に文通始めた(はずの)分際で、何様よと今なら冷静に思える。

でも、中2当事者って、冷静じゃありえない。
俯瞰で見たりもしない。
いまここの感情が全て。

一応、表面上、平和なBon Jovi曲トークが手紙で展開される。

Tさん「1曲目から5曲目まで、ぜんぶいいって思って聴いてます!」

俺はそれに応えて

「そうか。

ぼくは6曲目の"Homebound Train"こそ、彼らの真髄(「髄」だけ文字がでかいし、消しゴム掛けがすごい)があると思えて、気に入って繰り返してるんだ。」

↑Tさん、ごめん。
ジョン(ボン・ジョヴィ)、ごめん。

ぜんぜんそう思ってなかったし、実際はぼくもTさんと一緒で1〜5曲目ヘビーリスナーだったのに、「ただただそう書きたくはない」って中2発動そんだけの理由から6曲目を推し、が実際はいつも飛ばしてました。。。


そんな感じでの、思い出の曲。
(ボン・ジョヴィ関係の皆様!これはアンチ記事の類では、断じてないですので。
「世界的な特大の成功者(バンド)だからこそ、この内容で記事化できる。」
このリスペクトを込めて、書いています。)


その後も文通は続いた。
その頃を境にTさん「中学の運動部の先輩への恋心」を書いてくるようになった。
ぼくは、さらにささくれ立ちながらも、美少女Tさんとの文通の機会を手放したいなどとは思えなくて。
中3の春頃、Tさんが「受験に専念したいから」と、中止を告げた。
それで、文通は終わった。

でも、互いが大学生になった初夏、一度だけ会った。
(中学受験塾の、塾長を囲む会兼同窓会が開かれたのだと記憶している。)
大人の女性になったTさん、ぽーっとみほれちゃうぐらい、綺麗だった。
歯列矯正してても、なんのそので。
でも、脈がないことだけ、確認して帰ってきた。
それからは、それっきり。


50歳の今も、Tさんきっと綺麗だろうな。
(今は苗字「T」さんじゃなくなっているかもだけどね。)
あの頃、文通してくれて、ありがとう!

#思い出の曲

いいなと思ったら応援しよう!

山本蛇内
スキとフォローくだされば(気に入ってくださるなら、でね)十分なのであります! いつか有料記事に挑戦しますので、その時までチップ取っといてください笑

この記事が参加している募集