古い針の包みを見て思う
時々、昔の恋人が夢に出てきます
お前を迎えにきたよ、と
でも、私は今の暮らしを捨てることができず
一歩踏み出すことができない
今、お前が幸せなら、それでいいと言って
あの人は気軽な様子で手を振って去っていきます
残された私は夢の中で静かに泣いています
目が覚めて
なぜあの人と一緒になれなかったのだったか
あらゆることを思い連ねて
哀しくて
しばらく鬱々とした気持ちを抱えながら
ドタバタした日々に戻っていきます
あの人に最後に会った日
もう会えなくなったら
私のことは忘れてしまう?と聞きました
あの人は、忘れないと言いました
ずっと見守っているよとも言いました
会えないのに、どうやって見守るの?
風のうわさでとあの人は言いました
あの人と関りがあった十年の日々
私の身から出た錆びで
素直な気持ちであの人の胸に飛び込むことが出来ませんでした
会えなくなって何十年も過ぎて
私の中に残ったのは
ただただ私を慈しんでくれたあの人のことで
あの人への思いは小さな宝石のように結晶して
吠え狂う獣を心に飼い
苦闘する私の宝物になりました
そんな昔の恋のことなど
いつしか忘れてしまうのだろうと思っていたけれど
忘れることはなく
私は還暦を過ぎました
裁縫箱の片隅に
小学生の頃から持っている針の包みがあります
少し汚れている古風な紙のパッケージを開くと
くたびれた薄い薄いアルミ箔に包まれた針が入っています
もう50年も経っているのに
手を触れていない針は真新しさを保っています
そっと針の包みを裁縫箱に戻して
あの人との思い出はこの針みたいだと思います
なにか、ちょっとしたきっかけで
あの人とともに歩むようになっていたなら
日々の暮らしで
傷んだり錆びたり折れたりして
供養される針みたいになっていたのかな
そっと包んでしまっておいたから
ずっと輝いているのかな
まだ若かったあのころ
こんなふうに
恋しい気持ちが消えずに残り
輝き続けるとは知りませんでした