教師のやりがい。

教師という仕事のやりがいの例を挙げたいなと思う。

このテーマのきっかけは、現在、教育実習生が私の勤める学校で実習期間を過ごしており、その様子を見て自分のことを思い出したからだ。

私自身の教育実習については、とても楽しかったという感想を持った。

実習期間も短く、生徒との歳も近いこともあり、生徒たちとも会話がしやすかった。あまり苦労した印象もなかった。

私はこのような教員生活が待っていると勘違いをしていた。
(ただ、実習生が教員という仕事が楽しいと感じることはモチベーションを上げるためにも必要なことだと思っている。)

実際に教員になると、とても大変だった。

まず、長期間を見据えた生徒との関係構築をふまえないといけないことだ。

つまり生徒と親しく仲良くなることこそが良いこととは言えないということだ。

親しく仲良くなると、秩序を維持していくことが難しいからだ。

次に大変なのは、生徒指導だ。
この生徒指導は本当に大変だ。時には保護者も含めて話し合い、解決にむけて動かないといけない。
いじめなどの場合は生徒の命にも関わるので、何よりも優先される。

そして、もう一つ大変なことは、校務分掌や事務作業だ。
この校務分掌や事務作業というのは時間をとる。
しかし、それらをきちんとやらないと学校や学級が回らなくなるということがあり得る。
だから、これも優先事項になる。

そうなると本業の授業の準備時間というのが思い通りとれなくなる。

教育実習は、実際の現場の実態と違い、授業準備へ全力を尽くすことができる。
そして、余った時間などに生徒と関わる機会をもつことができる。

だから教育実習は楽しいと感じたのだ。

しかし、実際の教員になって、”楽しさ”ではなく”やりがい”を感じる場面がある。

それは生徒から感謝されることだ。

教育実習の時は最後に「楽しかったです」「面白かったです」というようなお手紙はもらった。

ただ、実際に教員として働いた場合にもらう手紙には「成長できました」「ありがとうございました」というような教育実習ではもらえないような言葉を頂くことがある。それは生徒からだけでなく保護者からももらうことがある。

また、ある授業が終わった時に、生徒から「昨日悩んでいたのですが、先生の授業を受けてとても元気をもらえました。」という言葉を言われたことがある。

それは、初任の頃や教育実習では得られなかった言葉だろう。
なぜならば、やはり、それまでの経験や授業力の向上があったからだと思う。

この時に「教師としてのやりがい」というものを感じた。

現場の教師になって、楽しいという場面はだいぶ減った。
いや、意図的にそのような場面を自重しているのかもしれない。
「楽しい」という状態は、良くない隙をうみやすいからだ。

生徒とフレンドリーに関わるのはきっと楽しいだろう。
ただ、そのフレンドリーさが学級の秩序を崩すことにつながることもある。
自分は初任の頃にあった。

だから、今は「楽しさ」より、別の次元にある「やりがい」を目指しているのかもしれない。

その「やりがい」というものは人の人生や成長の近くに関わる教師ならではの素晴らしさなのかもしれないと感じている。

大変なことも多いけれど、その「やりがい」を糧に教師という仕事に取り組みたい。

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