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偏見と平等 第一話【短編小説・ショートショート】

人間には先入観や偏見を持たずに平等な判断を下す機能が備わっていない。
これは長年人事部で経験を積んできた私が辿り着いた結論だった。

見た目、人柄、人付き合い、結婚、妊娠……。仕事の実績とは関係ない事柄がバイアスとなり、人事担当者の目を曇らせる。その割を食うのは、多くの場合私を含めた女性社員たち。数値化できない物事のせいで不当な評価が下され会社内での地位が、いつまで経っても向上しない。

そんな不都合な真実がまかり通っているのが大企業という場所である。
個人の力で状況をひっくり返すのは不可能で、楯突けば自分の首が飛ぶことになる。
私はそんな現実に押し潰され、人事という仕事に対する情熱を失い、業務を淡々とこなすだけの日々を送っていた。

しかし。しかしだ。
何事にも転機はやってくる。
ディープラーニングAIの登場に私は大きな可能性を見出した。
AIに人事を任せれば数値化できなかった物事を数値化できるようになり、公平で平等な人事査定が下され、女性たちは大きく羽ばたける機会を得る。

私はそう考え、二十年間務めていた会社から退職し、ベンチャー企業を立ち上げた。
システムエンジニアが五人いるだけの小さな会社だったが、社員たちはみな意欲と野心に溢れ、人事AIシステムの構築に全精力を傾けた。

会社の資金繰りはいつも火の車で、銀行からの借金は増えるばかり。いつ倒産してもおかしくない状況ではあったのだけれども、めげずに地道な研究開発を続けた。努力を積み重ねた結果、革新的な人事AIシステム『人事君』を生み出すことに成功し、以前勤めていた大企業で試験運用させてもらえることになった。

人事に公平性と平等性をもたらすために起業したのに、コネを使ってテストしてもらうのは矛盾した行為のように思えたが、銀行への返済が目前に迫る現実を前に、背に腹は代えていられなかった。

三ヵ月後。
私は『人事君』の第一期の運用報告を聞くために、大企業の社長室を訪問していた。
経過が思わしくなく、人事AIの再開発ということになれば、新規融資を受けられない私の会社は資金不足に陥る可能性が高く倒産しかねないという状況だったので、心の中で「どうか、上手くいっていますように」と祈りを捧げながら報告書に目を通した。

結果は上々だった。
『人事君』を導入した部署では、前年比プラス2%という営業利益を達成していた。一方、導入しなかった部署では前年比プラスマイナス2%という出来だった。
私は思わず拳を握り締めていた。
やった、成功だ。

もちろん人事以外の要素や偶然が働いただけかもしれないので多少の不安は残ったが、『人事君』を一から再開発する必要がなくなったことには安堵した。
嬉しいことに、予想以上の成果が出て気を良くした社長は、資金繰りが苦しい私の会社へ融資を行うことを申し出てくれた。

この資金を基にして『人事君』の改良を重ねながら運用を続けた。
第二期、第三期、第四期の経過報告でも『人事君』は変わらず結果を出し続け、年間を通してプラス5%の高い営業利益を達成した。

次の年、大企業では半分の部署で『人事君』による人事査定を導入することを決定した。
やはり結果は同じでプラス5%を達成。これを受け、大企業の経営陣は『人事君』を全面的に採用することを決定したのだったが、社内で反発の声が上がった。
先導していたのは、部署の廃止が決まった人事部の社員たちだった。

「AIに人事を担当させるためには学習用に大量のデータが必要で、トイレ以外のありとあらゆる場所に監視カメラが設置されることになる。会社は社員一人一人の監視を行い、プライバシーを侵害している」
彼らはそう喧伝していた。

経営陣は会社の生産性向上を優先し、反対の声を無視する形で『人事君』の導入を強行した。社員たちは監視された状態で働くことになったのだが、会社の業績が上向き、基本給も上昇したので、反対する声はすぐに聞こえなくなった。

弁護士を引き連れ、最後まで反発を続けていた人事部ではあったが、若手社員たちが『人事君』から現状よりも高い給料で他の部署で働けるという提案を受け入れたため、骨抜きにされ抵抗運動は終結した。残った年配の社員と役職付きの社員は『人事君』からリストラの対象とされ、次々に退職していくことになった。

「お前は自分が何をしたのかわかっているのか? 人事部の社員をリストラに追い込んだんだぞ。育ててやった恩を忘れて仇で返すような真似をしやがって。お前のような役立たたずに飯を食わせてやったのは誰だと思ってるんだ。人事畑にいた人間が人事AIを作り出すなんて愚かにも程があるだろう。いいか、よく聞け。人事AIはいずれ必ず破綻をもたらす。だから今すぐAIを破棄しろ。開発を中止して、迷惑をかけた人事部の社員たちに土下座して謝罪しろ。お前の不細工な面を地面に擦りつけて謝れ。わかったな? これは元上司である俺からの命令だ。自分の身が可愛かったら素直に聞いておくんだな」

私は社員たちと居酒屋で打ち上げをしている最中に、そんな憎悪に満ちた脅迫メールを受け取った。『人事君』が大企業で採用されたこと、新たに銀行から融資を受け一般企業への販売に漕ぎつけたことを祝っていた。販売といっても『人事君』はクラウド上で運用されているので使用契約を結ぶだけではあったが。
メールに目を通しても、私の感情は波立たなかった。ただ憐れに思っただけだった。

人事が人間からAIに置き換わるのは既定路線で、もはや後戻りはできない。
人間には先入観や偏見を持たずに判断を下す機能が備わっていない。でも、人事AIは違う。公平かつ平等な判断を下すことができる。

『人事君』が人事部でふんぞり返っていたあなた方をリストラしたのは、会社に利益をもたらさない役立たずだと、偏見や先入観を持たずに判断したからだ。
『人事君』はあなた方に自分を見つめ直す機会を与えた。再出発する機会を与えた。土下座して謝罪しろなどと言うが、忖度のない真実を告げられたことに、むしろ感謝して欲しい。

加えて、二〇四〇年までに世の中の半分以上の仕事がAIに取って代わられるという予測もある。私はその先陣を切ったに過ぎない。例え私が人事AIを開発しなくても、いずれ他の誰かが開発していた。

私の大嫌いな元上司にはそのことが理解できていない。まったく反りの合わなかった元上司は社会の変化についていけず、置き去りにされている。時代遅れ。悲しいかな、時代遅れなのだ。彼の思考はもはや化石化した過去の遺物。どこぞの考古学者がいずれ発掘してくれるのを祈るばかりだ。

祝勝会が終わり、しこたま酔っ払って帰宅した私は、そのままベッドの上に突っ伏した。
達成感と充実感に包まれたまま、着替えもせずに眠りに落ちそうになった。

『人事AIはいずれ必ず破綻をもたらす』。

寝落ちする直前、なぜか元上司の言葉が頭の中で反芻した。

『人事君』には一つだけ気掛かりなことがあった。役職に就く女性の数は依然横ばいのままだったのだ。これまで不当な評価を受けてきた女性の地位は向上していくはずなのに。
どうしてだろう? 『人事君』は公平と平等な査定を下すのに?
不安がよぎった。が、睡眠の欲求には勝てず、私の瞼はゆっくりと閉じていった。


【つづく】


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