本当の対人援助とは、生命=魂のSOSを聞くこと。ロジャースとバイステックを越えて。
対人援助においては、支援対象からのSOS=主訴を聞くことが基本である。
しかし、どのようなレベルから発せられるSOSなのか聞き分ける力が必要である。本当に人を救おうとしている人は、表面上の言葉による主訴だけではなく、生命つまり魂が発しているSOSを感じとる。そして、決して見捨てることはない。
多くのカウンセラーやソーシャルワーカーは心の叫びを聴くことはできても、魂からのSOSを聞くことができないし、魂の領域まで入り込むことが禁じられている。ロジャースのカウンセリングの三原則、バイステックの七つの原則は、それを禁じている。心のレベルにおける相手の意思表明(自己選択)を尊重しすぎるあまり、魂からのSOSを無視してしまう結果になる。その結果、本当に人を救うことができないことがある。何度、カウンセリングを受けても、一時的な癒しを感じるのみであり、問題が解決することはなく、永遠に同じところをグルグルと回帰しているクライエントをよく見かける。
また、言葉や心のレベルにおいては、人からの援助を拒否している人たちも、魂のレベルでは救いを求めていることがよくある。例えば、虐待を受け、人を信じることが出来なくなった非行少年は、魂は救いを求めているのに、人からの援助に反発する場合がある。
また、優れたゲートキーパーは、心のSOSだけではなく、魂のSOSを感じとることができる。単に「死にたい」という言葉のレベルのSOSの中に、魂が発した本当のSOSである「生きたい」=「汝、殺すことなかれ」というメッセージを読み取り、決して見捨てない。
医者は、たとえ患者が話せなくても、また無意識であろうが、「生きたい」という生命の根源から発するSOSを敏感に感じ取り、患者を見捨てずに救う。手塚治虫がそのことに敏感であった。それは、ブラックジャックの思想に現れている。平易な例で言うと、生まれてきた赤ちゃんを抱いた時にも、感じる「生きんとする意志」の感覚である。
スピリチュアルケアの領域でいうと、心の痛みではなく、魂の痛みであるスピリチュアルペインを問題にする。スピリチュアルペインによって傷ついた魂は、魂のSOSを発する。
昔、私は、ある女性保育士に出会った。その保育士は、あえて言葉を発することができない障害児の保育士になった。その理由は、障害児が見捨てられないように、言葉を超えた命と命のコミュニケーションに挑戦したいからだと語ってくれた。そして、人の手の平に噛み付くことでしか自分を表現できない子に、血が出ても、気がすむまでずっと手の平を噛ませ続けていると語ってくれた。声なき子の魂のSOSを感じ取れる方であった。その後の私の対人援助の精神に大きな影響を与えてくれた。
貧困、虐待、障害など、助けてを言えない人たちに対するアウトリーチによる援助が必要だと叫ばれる、この現代社会において、もはやロジャースのカウンセリングの三原則やバイスティックの七つの原則だけではやっていけない。心によって、意識化、言語化されたSOSは、とてもわかりやすいが、魂のSOSは自己の魂でしか受けとることができない。
無論、コミュケーションを通して、魂のSOSを意識化、言語化することで、魂のSOSに応える営みは否定されてはならない。傾聴はその有効な手段である。言葉とは、魂のメッセージを含んだ言葉である。だから、命がこもった一つの言葉で救われる人もいる。とはいえ、それが可能なためには、まずは相手の魂のSOSを自己の魂で感じとることが大前提である。
対人援助の世界においては、ロジャースやバイスティックよりも、深い哲学が必要である。それは、レヴィナスの他者論である。レヴィナスの他者論は、他者の「顔」という形で、魂の懇願=SOSを救い取ろうとし、そこに倫理を見出す、他者愛の哲学である。
レヴィナスの他者論は、ケアの哲学として、普及しつつあるが、助けてを言えず、救いを求めている人たちにアウトリーチするための態度としても有効である。
人は、共同体の仲間であろうがなかろうが、困窮している存在、苦しんでいる存在を見ると、触発され、助けようとする気持ちが自然に湧く。それは、世界にたった一人の他者が他ならぬこの私に呼びかけてくる魂のメッセージであり、それに私の魂が呼応しているからにほかならない。レヴィナスは、他者からの魂の呼びかけを顔と呼んでいる。顔はいかなる一般性にも還元できない単独性を表す。他者からの魂の呼びかけに応えることは、俗に言う心理学レベルの救済者願望とは、全く異質であり、自己の救済とは関係がなく、純粋な他者愛である。
そして、他者からのSOSを無視することは、他者の存在を否定すること(殺人)になってしまうわけであるから、つまるところ、「汝、殺すことなかれ」という責任を受動的に引き受けることになるのである。他者から送られてくるわけであるから、聴くのではなく、聞くことになる。つまり、支援者は聞かされているのである。魂のメッセージは、聴くのではなく、聞くのである。これは、傾聴とは異なる原理である。
してみれば、生きとし生けるもの全てに対しても、同じことが言える。人は、怪我を負った動物を保護したり、捨て犬を拾ったりする。生物の魂からのSOSに人の魂が呼応しているのである。魂は、一つの存在に一つしかなく、それ故、尊く、また宇宙に存在する全ての生命=魂は繋がっている。だからこそ、見捨てることができない。そして、一つの魂のSOSに応えることは、すべての宇宙の魂のSOSに応えることと同じである。
対人援助では、心理の次元と生命の次元を分けて考えることは大切である。自他の生命に関わる危険がある場合は、カウンセリングやソーシャルワークの守秘義務の原則も破られることがあることから、それはわかる。同じように、心理の次元のSOSと生命=魂の次元のSOSを分ける必要がある。
私は、生命=魂のSOSを聞くことができる対人援助職を養成したいと思っている。すでに、対人援助職を目指す学生たちと共に、レヴィナスの他者論に基づいた支援を実践している。
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