教育が目指す先

今教育は無限の拡張を歩んでいる。
何でもかんでも取り込んでしまった教育の営みは「教育とは何か」をわかりにくくしている。

枠組みとしての公教育、教員、クラス、担任それらの役割。

不登校児童の場合、特別支援教育の場合、いじめの場合、部活の場合。

見方の問題。
学力テストの場合、PISAの場合、非認知能力の場合。

もう少し詳しく。
こうしたものたちを巻き込んで、何が拡張しているのか。
教育の行き先が拡張している。
それも無限に拡張している。
教育の役割の無限拡張を止めねければならない。

教員は無限責任の負い手ではない。
しかしイメージ的にそういう聖人君主であるように要請されている。そこに逆らいたくなった人たちが破廉恥な行為をして、盗人のような振る舞いをするのだ。今に始まった事ではない。

教育の担い手一人一人がそこから意識的に脱却していくことを声かけあっていかなければとてもじゃないが、身がもたない。
教育現場の中で必要のないことなど何一つない。しかしそれは全て等価値ではないので、優先順位を決める必要が出てきます。
しかしいつも合意できないので、結局何も削られないまま、質的にも量的にも拡張が進んでいく。
 今の教育現場が抱える悪循環。
 拡張の無限ループ。

 しかし拡張すること自体は悪いことではないし、教育という営みにとっての発展性であるように感じる。
 つまり拡張の先での連結として収斂を持ったスタイルで取りまとめを行っていく必要があるように思う。

 理論的には拡張をしていきながら実践的には収斂していくことが実現できるようにしなければならない。

noteを書き続けて180日。
書きたいことは山ほどあれど
なかなか出てきづらくなってきたなぁ。

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