見出し画像

町の本屋を奪った話

私にも、おしゃべりとして軽々しくは話さないような内容があります。

これだけ生きているといろいろあるのです。

その中の一つ。
本屋をたたみに行ったことがあります。


閉店のお手伝いとかではなく、

根抵当権に基づき、
返本をすれば全額返金される、日本の再販制度を利用すべく、

資金繰りに行き詰まりきった、
とある書店の全てを回収するために行ったのです。

数人でトラックで乗り付けたのは、
閑静な地方の書店。

ちゃんとした書店で、店主はこれまで「社長」とお呼びしていた地元の名士。

社長は店の鍵を開けて、淡々と応対してくださいましたが、

その前の晩は、奥様が悲痛に泣きわめき、社長も男泣きだったと上に聞いていたので、
若かった私は、なにも言えませんでした。

出版社に本を戻し、卸値100%でお金に還元するのには、それなりの立場と手間が必要で、

私達がやっていたのは、金貸しにより二束三文で乱暴に本が売り飛ばされる前に、
本と社長を助けに行った行為でもあったのですが、

書店員さんが丁寧に作り込んだ棚や、コーナーを全部無くしてしまう作業は、
とても後ろめたいものでした。

子供の本や、教育の書がたくさん並ぶ、こだわりのある良い書店であることが、
なおさら辛かったです。

小さい子供が何事かと見に来ており、
私は「ごめんね」と、
分からないだろうのに勝手に謝りました。

せめてとなんの本があったか覚えておこうとしましたが、今では並びのイメージと店のレイアウトしか浮かばず、

覚えてるのは、幸福の科学は返さなくても普通に売れるからそのまま持っていこう、という話だけ。
情けない。

バックヤードにも本があり、トイレも水分補給も必要なので入れて頂いたものの、

半分は生活スペースでもあり、
古いこたつや柱時計、
そして書店としての表彰や子供の手紙がある、
薄暗い空間にいる自分に、心がチクチクしました。

作業は臨機応変に、テキパキと連携を取りながら確実に一日でしないといけないので、
そういう張り詰め感はあったし、

普段と違う仕事を皆と一緒にするのは
正直楽しい部分もありました。

しかし作業が終わった、空っぽの店を見て、
やはりヒヤリとした現実の厳しさと、

本屋さん という素敵な場所を一つ失わせた、個人的な痛みを感じました。


私達は法に則るのは当然として、
それ以上の温情で、こちらの利益を削ってまで支えてきた。

社長には申し訳ないけれど、
失敗するような商売をしてはいけないし、私たちへの折々の説明も不誠実だった。

あんな引き際でなくても、
もっとやりようがあったんじゃないか。

お金の面で能力が足りないこと。
時代について行けずに引き時を見誤ること。
それは経営者として、当然責任を取っていただくべき。

…いろいろ正論は、あります。
当事者はそれなりに分かっているはず。

しかし、小さなまちにずーっとあった、
たった一つの本屋さんを奪うのは、
なんかそういう話とは違って、

そこに住む人達から、文化や思い出を引き剥がすような
後ろ暗さがあるのです。

大手の書店チェーンを動かす人達は、
元々は本を愛する人だろうに、
そういう小さいけれど重い痛みを
たくさん引き受けつつ、

それでも書店という文化そのものの存続をかけ、日々戦って下さっていると思います。


そして時代にのみこまれた側の人達も、

それまでの書店の歴史の中で、
人々に手渡してきた本一冊一冊が、
それぞれの心の中に有ることを疑わないでほしいです。

今も本を愛してくれている人達の、
心の中のラインナップに、
小さい頃に通ったあの本屋さんはきっとある。
手渡したワクワクは一生物。

なんて当たり前のセリフではない、

この数十年の波の中に消えた、
たくさんの書店への、
ちゃんとしたはなむけの言葉は、

私にはなかなか見つけられません。

でも探したいと思います。

そして、新しく書店を作ろうという志のある方々には、
心からのエールと拍手をお送りしたいと思うのです。


※関連はしませんが、この話以前の私のベース。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?