考え方のクセに今だに悩むのです
年齢によりだいぶ効率は悪くなりましたが、
なんだかんだ必要があったり、気が向いたら、勝手に勉強はしていて、
けして嫌いではありません。
勉強というと、賢そうだけど、
内実は恥ずかしいものです。
例えばテキストを読みながらの私の頭の中は、
「えーと、ここはだから位相がジャジャーンとせり上がって、上からバーっと、ね」
とか
「こうなったらウェーイだから、
自然とワッーっとなっちゃうわけね」
という感じで、
文系・理系問わず、
回りくどくて、アホっぽい見方でしか理解できてないです。
だから、根っからの理系の主人に
知識を借りようとして
分からない所を説明する時に、
「なにを言ってるんだ(冷笑)」
と、なりがちです。
チッッ。
シンプルに覚えられる人には無い、
ボリュームの多さに対応できる、
変な大容量が、
私の小さな体の中にある事を
面白がってくれてもいいじゃないですかねー。
だからこそ、アウトプットはシンプルにできるよう頑張って気を使ってるもん!
自信ないけど。
インプットの要領が悪いことは確かで、
だからこそコツコツやるしか無いのですが、
やってるからいいじゃーん!
ハァ、
私怨に走ってしまいましたが、
結局
人の理解の仕方なんて様々
だという思いを抱えているのです。
現在、
昔はそもそもアクセスできなくて、
誰かに任せておけばよかったような専門的なことまで、
「知れるんだから、知るべき」
みたいなプレッシャーのある時代
になって、
大変な世の中になったなあ、
と思う時があります。
例え情報差が無くっても、
人の理解の能力や、方向性の差は歴然とある。
だから、人同士がその辺で人を見下しあったり、ギスギスすると、
しんどい時代ですよね。
自分のように不器用な人もいるんだから、心を広く持ってほしい。
少なくとも私は広くあろうとしているし、
個々人の理解差異に関する面では、
慎重に構え、確認を心がけてます。
しかし、こういうのって甘えなんですかねー。
考え方のクセは矯正しなきゃ、
いけないんですかねー。
時々、
「仕方(しーっっかた)ないっしょ!」
と、荒ぶりたくなります。
まあ、私の考え方や説明は、
子供層には全般的に面白がってもらえるので、
そこだけは自己肯定感持てて、
ありがたいことです。