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医療カルテのマイナカード連携

お盆にあちこち移動する時こそ、
ちょっと医療の事を考えてしまいます。

やむを得ず他県の病院や、救急にかかる時は当然、
自分に関するなんの情報も持ってない先か、と。

「医者なんだから分かるだろ」
みたいな認識の人がまだいるから、医師は大変だと思います。

確かに最低限分かってほしい範囲はあるけど、
医学として一般的な事までです。

例えですが、ちょっと大きめの機械や建物だって30年も使い続けたら、
その管理者が急にいなくなった時には、
直すのに困ります。

雨漏りみたいなことだって、
実は電気系統をボロボロにしてるしれないが、どこに電気配線が通っているかを把握できてないと予想がつかない。
普通ここにはないだろ、という所に通っていることもあり、
症状という結果だけみて修繕するのは非常に怖いこと。


人間の体を天文学的に情報の多い機械だと思うと、医療も似てるかなと。

最新の設計図、敷設図としてのカルテがないと、
到底直してもらえる気がしないのです。

私は、先天性の大きめ、だけど見えない奇形を少なくとも2つ抱えており、
でもまあ、誰でもなんかあると思っています。

症状の感じ方も人それぞれで、
苦痛を軽減すべきレベルも人により違います。

自分で説明できる範囲は努力すべきとは考え、
子供にも自分の口で、症状に関わる説明をするよう教育しているけれど、
患者としての意思決定は、
やはり子供の全部を知っている自分でも難しい。

大きな判断は、一生分のカルテから今回該当箇所を切り出して見てもらいながら相談したい、
というのは贅沢だけど自然な望みではないでしょうか。

とはいえ、引っ越しをしたら、色んな診療科で基本情報為の検査をし直さないといけないのも、疎かになる面があります。

マイナカードの健康保険利用の是非は多々あるけれども、
医療連携の部分に関しては、
大局で見たら、
死に、可能な限り抗いたい人間の本能として、
反対する方が不自然だと思います。

自分の医療情報がその場に有るか無いか、

それが命の存続や、その後の人生の在り方を分ける、
その事は確かな事実だと思います。

ゆめゆめ
「そこに座ればピタリと分かる」、
なんて幻想を抱いてはなりません。

災害の多い現代、歳を取るほど今と同じ場所に住めず、同じ医療を受け続けられないかもしれない。

かかりつけの医師が亡くなって、引き継がれないかもしれないし、引き継いだ医師は納得できる人物でないかもしれない。

長く生きる、というワガママを成立させるためには、
多くの「かもしれない」、に備える必要があり、
そのための医療連携だと思います。






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