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平和教育ガチ勢

子どもたちと補給艦間宮の話をした前回を振り返り、
保育園児に戦時の話、は人によっては違和感あるか?と思いましたが、
あれは大丈夫だった気がします。

それはやはり広島での話、という場所柄が大きかったかもしれません。

戦争を支えたものに心を寄せるのは戦争賛同っぽさもあるけど、人の営みでもあるものを全否定するのもおかしい。
食べ物ならなおさら。

広島には戦艦大和を作った呉もあるのです。

子どもたちは本当に保育園の時から、平和教育を受けていました。
戦争の話は日常会話。

小学生にもなれば、生ぬるい平和論は見透かすくらいのガチ勢で、
戦争には色んな面がある事の理解がすでにきちっとありました。

広島での日々

随分前に離れましたが、
広島では普段の生活の中、ふとした会話の中に、行きつけのお店の建物に、近所の公園に、
戦争は色褪せず、いつも身近にありました。

あくまで個人的感想ですが、

軍港として、また古く日清戦争時は広島城大本営もあった軍事都市でもあるためか、
ただ若者を取られて空襲をうけた地方の都市の、被害者意識みたいなものとはかなり違うものが感じとれました。


「なんにもしてないのにひどい!」
ではなく

「自分になにか間違いや考えが足りない部分があったとしても、
それでも戦争の行き着く先はやっぱりおかしい。

人間は間違うものだから、
そんな所に行き着かせてしまう戦争という選択肢そのものを、世の中から消してしまうことが必要」

みたいな字数の多さは絶対あったと思います。

人道としてあんまりな事を経験した立場として、
「あれはなんだったのか、なぜあんなことになってしまったのか」
を、透徹して真摯に考え続けてきた人々の複雑さと、
だからこその磨き抜かれた思いやりがありました。


それは、出身でないからこそ、暮らし子育てする中で、他にはない特性として感じました。

子供から大人まで、平和についての情報量と考えているボリュームが違う。
平和教育の芯が太いのです。

特にご年配が素敵で、私の知る街の人はみんな素晴らしかった。

都市別ご年輩ランキングがあるとしたら、私は1番をつけたいです。

ガンガン新しい仕事に巻き込んでくれるから驚いたけど、細かいことでガタガタ言う人がおらず、
とにかく付き合いやすかった。


戦争に対しての無配慮な発言なんかにより芸能人が炎上して、すぐ収まるのとかの一連は、その人たちをして
「なんじゃろね」
で終わりそうな浅さに見えてきます。


脱線気味だし私の言えた事ではないですが、多分

広島の戦争はちゃんと負けて、ちゃんと終わっている。戦争に変な未練はない。
現在と混同なんてしないし、言い訳にもしない。

だからこそ、うやむやにも、無かった事にもならない。

戦争で経験した事は街全体の記憶として、血肉のようにしっかり残っていく。
暮らしの中にも溶けこんでいる。



今でも

「はぁ。平和の事ならまかせときんさい。
 悲惨?ショッキング? だいたい分かるし大丈夫」
と、自信満々に沖縄に行った、
広島弁が抜けないうちの娘はとても頼もしかった。

今は離れた場所にいますが、
8月になって
「あ、黙祷だね」と子どもと声をかけ合うと、

あの街と、
一緒に楽しくたくさん遊んでくれた、
ノリが良くて魅力的で、優しい子どもたちを懐かしく思い出します。


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