社会性のある立派な犬
子供の頃、土日と長期休暇はかなりの
割合で山奥にいた私。
山間のぽつんと集落で、
家の間もとても離れており、子供なんてもうすでにいない時代でしたが、
そこで訪ねてきてくれる唯一の友達が、犬でした。
親戚の家の犬さんが、
「遊んでやっておいで」と言われるのか、パトロールなのか、
午後のちょうど良い時間に
シャンシャンという鈴の音をさせながら一匹でやってきてくれるのです。
その音を聞くと、いつもとても嬉しくなり、
門や縁側に飛び出していました。
猟犬でもあり、番犬でもあり、
母親でもある、
ちゃーんとお仕事を持っている
立派な犬。
姿もピンとした美しさがあり、
歩く姿もシュッとしてて優美でした。
そんな犬さんが、
山奥に1人でさみしい子どもを気遣って来てくれて、遊んでくれているという認識で、
敬意を持って接していました。
食料は町中より大事だから、
犬さんにはお礼もほとんどあげられなかったけど、
そんな事は気にせず、たくさん撫でさせてくれたし、
私が1人で行くには怖い場所に、一緒に行ってくれました。
なにか山で事故があっても犬が知らせてくれる、
そういう役割を持った犬でもあると信じていました。
人に、「犬さんとどこどこに行く」、
と伝えておけば、
山奥で動けなくなっても、犬さんが伝えた人の元に行き、助けを連れてきてくれる。
そういうお年寄りの実体験の話を聞いていたし、
私が人に話している間、
ちゃんと人の顔を見ながら横で聞いていてくれている犬さんを、
疑った事はありませんでした。
完全に話も理解できていると思っていました。
大好きな犬さんなので、
帰る時はとてもさみしいのですが、
お仕事のある立派な犬さんなので、
ワガママを言ってはならず、
「また来てね〜」と一生懸命手を振っていました。
そんな賢い犬さんでも、
時々、悪い人が人の山に勝手に仕掛けた罠にかかって怪我をしてしまうことがあり、
そんな時は泣いて憤っていました。
立派な犬さんを、下衆な大人が傷つけるなんて、
なんというひどい話だと、
心の底から怒りが湧いていました。
賢い犬さんなので、
自由に歩き回ってはいますが、許された山にしか入らないはずなのです。
犬さんが3日も来ない日は、
心配になって私から親戚の家を訪ね、
忙しいなら「そうですか」だけど、
山から帰ってこない話を聞くと、
心から山の神様に無事に帰してくれるように祈りました。
しかし、
本当に死んだと聞いた時には
立派に生きた犬さんだったので、
あんまり悲しみませんでした。
子どもなりに、
敬意を持って見送るんだ、
という意思をを持って、哀しむ事は控えました。
ちゃんとお墓もあって、時々お参りをしていました。
そして流石の教育というか、
ちゃんと犬さんの子供が、
犬さんJrとして、
同じ名前を引き継いで、家に来てくれたのです。
犬さんほどには仲良くなれなかったけれど、
本当に嬉しかったし、
変な話私の中の、
子どもができて命が引き継がれるって素敵な事だ、
という意識はここで生まれた気がします。
今はもう誰も住んでいない集落の
思い出話なのですが、
こうやって書くと、
おとぎ話のようですね。