見舞いの失態


日本は長寿国で知られており、ピンピンコロリの精神が重宝がられているが、いまだにねんねんコロリで逝く人口が多い。小生の父もその一人であった。ある時夫婦で病院の父を見舞った。4人部屋で延命治療特有の管と独特の白装束によるいでたちの人でにぎわっている。我々は入口で消毒を済まして、おもむろに父の病床に行き、「俺だ、紘だ、分かるかと大声で怒鳴った。後ろで妻が「お父さん、その人と違う」と小声で叫んだ。よく見ると違った。みなほとんど同じ装束であり、一見しただけでは誰だか分かりにくい。幸いその方の親族らしき人がいなかったのでよかったが、もしおられれば例えば隠し子が現れたと思われても不思議ではなかったかも知れない状況であった。恥ずかしかった思い出である。
話はさかのぼり、長女が産まれた昭和54年のことである。産科の看護婦から勤務先に連絡が入り、病院に駆けつけて、病室に入ると妻が横になっていて大きなお腹は布団で覆われてある。お産はまだだと思い、そっと手を握り、「もう少しの辛抱だから頑張って!」と耳元で叫んだ。妻は「もう産まれた」と。
なんともおっちょこちょいで呆れた人生の始まりだった。

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