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フラナリー・オコナー全短編(下)

人間の悪い箇所に焦点をしぼって表現しているので読んでいるといやな感情しか湧いてこない、しかし面白いというのには違うかもしれないがなぜか読み続けてします。不思議な魅力のある短編集です。

登場人物の描き方は悪意しかないがその中に真実が紛れていることが驚きです。例えば『パートリッジ祭』のシングルトンをこのように表現しています、「シングルトンの顔写真だけが独特だった。幅があるくせに骨張っていて、暗い表情だ。片方の目が、もういっぽうにくらべると大きくてまるい。そのまるいほうの目には、実行する意志をもつ人、自分自身として存在する権利のためには進んで苦痛に耐える人の沈着さが宿っている。カルフーンはそのように見た。ふつうのかたちをした目のほうには慎重な軽蔑がひそんでいたが、その表情には全体として、まわりの狂気のせいでついに発狂させられた者の苦悶が現れていた」シングルトンは悪人だが、信念をぜったい曲げない男であることがわかる。主人公のカルフーンもわかっているくせに、根拠のない自信をもってさらに準備不足で面会したために痛い目にあってします。一瞬にして自我が崩壊するさまは悲劇です。

この短編集を読んでいると人間は簡単には変わらないことがよくわかってきます。条件付きの良心を振りまくところは、現在でもまったく同じです。『すべて上昇するものは一点に集まる』ではジュリアンの母親は自分の生活が落ちぶれているのは、黒人が権利を主張して白人の生活エリアで我が物顔で振る舞っているからだと考えています。思いっきり差別主義者なのに、私は黒人の権利を認めますみたいなことを言ってるところはなんか憎たらしいです。あと、黒人の子供は白人の子供よりかわいいみたいなことをしゃべっているのですが、こうゆう人はいまでもいるよねと言う感じがします。バスで同情する黒人女性がジュリアンの母親と同じ帽子をかぶって登場するところは、めちゃくちゃ笑える面白い箇所です。笑いながらも、私も差別主義者ではないと思いながらも、なにか条件付けていないかと思い返して嫌な気分になってします。そこらへんがフラナリー・オコナーの小説の恐ろしさです。



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