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SDGsのキャッチフレーズを考える

飛行機の中でのこと。
この海外の航空会社では着陸が近づくと、CAさんがユニセフの袋を持って席を回る。わたしはポケットに忍ばせていた小銭をその袋に入れる。
CAさんの笑顔がうれしい。お馴染みの行動。海外からの帰路、小銭がどうしても残る。それを回収して、恵まれない国々の子供たちに役立てるのだ。

ある時、タイからの帰路、わたしはいつも通りに通路側の席に座る。
窓側には恰幅の良い外国人男性が座る。真ん中の席は空席だ。
どうやら前席に座るかたが日本人の奥様のようだ。この方は特別な料理をリクエストしているようで、CAの方が確認にくる。
楽しみにしている機内食の時間。その方の食べ散らしかたがすごい。真ん中の空席に食べ終わった皿、食べ残した料理皿やゴミを積み上げる。
いやな気持になった。前席の奥様はこのような行為になにも言わないのだろうか。わたしには信じられなかった。
新幹線で移動中のこと、3列シートの真ん中の席は数㎝ほど広く作ってある。そこに座った外国人のかたが両肘をひじ掛けにでんとのせて、窓側の方と通路側のわたしは遠慮しながら座っていたことを思い出した。この二つの事例が全てではないが、外国の方はやはり自己主張が強い人が多いと感じることもある。いいかえれば自分だけがよければ良いのだろうか。

SDGsって何なんだろう。密かな疑問。
「SDGs」という言葉は、将来の子ども達が安心して暮らしていける社会をつくるために掲げられた、国際目標。とある。
この言葉は外国からきたようなイメージがあるのに、海外ではどのような取組がされているのだろうか。少し調べてみると国をあげて取り組んでいることが紹介されている。バイデン政権の気候変動対策の「グリーンニューディール」政策や、中国のカーボンニュートラル(ネットゼロ)を目指す取組もある。「誰一人として取り残さない」ことが共通のスローガン。
この考えに共感するとき、自己主張を少しは控えるほうが良いのではないか。と思ったりしている。
もちろん自己主張をするなではなく、時と場合によるのだろう。
このような取組には寄付が重要な意味合いを持つが、寄付についてこんな話がある。

「アメリカのお金持ちの人は寄付が多いが、日本でのお金持ちは寄付が少ない」らしい。1900年代にさかのぼるが、当時、アメリカでは富を集中した富豪や名家が襲われる事件が多くあったらしい。そこで寄付をすることによって自分たちの姿勢をアピールし、これだけ世の為に貢献してますよと示すことにしたのだ。金の亡者ではないことを知らしめるために寄付をしたことになる。これらの史実を正確に知っているわけではないが、自分たちの保身からきたと言えなくもないと感じている。(※TV番組なので、正確に覚えているわけではありません。)

SDGsは国が動くことも必要だろう、どこかのグループが決めたり、音頭をとることもあると思う。
だが、一人ひとりが自分たちの姿勢を見直すこと、意識することが重要だと思う。身近な小さなことがたくさんあると思う。そこからはじめたい。

SDGsにはたくさんの思いや意味が含まれている。
人によってはLGBTと混同していて、多様性だと言う人もいる。
果たしてこれでSDGsの考えが広まり、共感する人が増えるのだろうか。
うまいキャッチフレーズがあれば良いと思う。
「あなたのやさしさ、人を気遣う思いやりが、一人ひとりのSDGs」
こんなフレーズはないものだろうか。

最後になるが、飛行機の中でのユニセフへの寄付。食べ散らかしいた外国人の方は、寄付をしている私を見て目が点になり、唖然としていた顔を思い出す。何か私が間違いをしたような気持ちになった。
そんなとき、笑顔を向けてくれたらどんなに良かったろう。
わたしは、喜んで笑顔を向けられる人になりたいと思う。
世界の子供たちのために。

#SDGsへの向き合い方


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