大好きだけど。旅先で食べないカレー、思い出のカレー、好みのカレーを語りたい。
カレーライスは好きだ。
学生の頃、アルバイトの行き帰りで必ず寄る店もあった。
食べていると口の中の舌触りが良い。おそらくジャガイモがつぶして入れられていると思う。当時でワンコイン。あ、500円玉は無かったね。
こんなこともあった、仲の良い同僚。帰社時間が合えば共に連れ添って帰る。ある日、仕事先からの帰路に新宿駅で乗り換えることになった。
彼は駅構内でちょっと待っていてくださいと言う。はて、と思っていると立ち食いカレーを食べて来ました。と彼は言う。新宿駅に来ると必ず寄るカレー屋さんがあるという。それほど愛されているカレー。
若いころのスキー旅行、ゲレンデでの食堂ではカレーかスパゲッティと決まっているようなものだが注文しない。バイクツーリング、学生旅行、バス旅行でもカレーは注文しない、というより食べないようにしている。お金が少ない若いころ、友人たちはカレーを選ぶ輩が多い。わたしはカレーを選ばないのと同じ理由で豚の生姜焼きも注文しない。生姜焼きも大好きだ。お皿の上で生姜焼きのたれに沁みたキャベツの美味しさはたまらない。味噌汁にも合う。それでも選ばない。
理由は豚バラだ。特に旅先の食堂では脂身ばかりの豚バラを使うお店が多いと思っている。あの口の中でギュニュっとした食感がダメなのだ。
それと同じ理由で豚の生姜焼きも食べない。わざわざ脂身が多い豚スライスを見つけたのかいと思うほどだ。
では結婚する前、家庭でのカレーライスはどうしていたかと言うと、サバの水煮缶カレーもあった。お肉の場合はひき肉にしていた。ひき肉はミンチ肉なので、もしかしたら豚バラより脂身が多い肉かもしれないが、グニュは無い。それが理由だ。父と母の気持ちはわからないが、息子の好きなものをと思う気持ちはうれしいし懐かしい。本心は今となっては聞くことは出来ない。ま、良しとしよう。
さて前段が長くなったが、カレーに入れたい食材の話だ。
じつは「ジャガイモ」を入れたいのだ。当たり前じゃんと言うなかれ。
我が家では料理をするのは妻だ。土日は私の当番だが、家族が好きな物を選んで作るようにしている。カルパッチョや冬ならトマト鍋を喜んでくれる。
妻はカレーにジャガイモは邪道とのこと、男子足る者、妻の作る料理はすべからく口出しせず、美味しいの一言を添えて食するべしだ。
カレーに入っているジャガイモは煮くずれし、カレー本来の風味や舌触りを損なう。傷みもはやい。これは私もわかる。だから反論はしない。
最近のカレールーは、本当に素晴らしい。変に何か足すとかえって、めざす味から遠ざかけてしまう場合もあると思う。でもジャガイモが食べたい、どうするかと言うと付け合わせにしている。
ジャガイモを適当な大きさに切り、レンチンしたあとにフライパンで炒める。これも上手い。お気に入りは少しの醤油とラー油を垂らす。
これがビールに合うのだ。
でも私は、カレールーの中で崩れたジャガイモの舌触りが好きなのだ。
家族が喜ぶ料理を食べることがもっとうなので、自分でこっそり作るぐらいなら、そんなお店にいけば良いと思っている。
そんなお店はいまだ見つかっていない。若かりし頃の、あのワンコインのお店はもう無いのだ。あのお店のカレーのお肉は小さな角切りが入り、食感も良かった。でも一般にジャガイモの舌触りは受けないのかな。
さあ、前段はこのぐらい。カレーの思い出は多く、そして深い。
みなさんはカシミールカレーを知っていますか。
そのお店は御徒町にありました。上野出身の方から、このお店を教えて頂きました。サラサラで超絶辛い。一時、頭のポマードが溶ける辛さみたいな表現があったけど、超えたね。
後から迫ってくる辛さに水を飲むが、水を飲んだらさらに辛く感じる。
もう大変。サラサラだが香辛料のパンチと濃くを感じ、味わい深いのだ。
食べ終わったらまた食べたい自分がいる。時々レトルトを購入していたが、今もまだあるのかな。もう30年の前だ。ネットで検索したらあったよ、あった。店舗名は「デリー」なんだね。ヨシ、今度行ってみよう。
さあ次だよ。新宿は中村屋のカレー。有名だよね。
ここも、ある人に連れていかれた。お店は知っていたが、入ったことはなかった。当時、30年程前でも1500円ほどだったか。ここはチキンカレーだ。
わたしはここのチキンカレーを食べてから、家庭でもチキンを焼いて食べるようになった。チキンは、あの鳥肌の皮が苦手だった。今はあの皮をパリッと焼いてある「骨付き鳥」もお気に入りだ。
中村屋のチキンカレーは妻と結婚前にも数回食べた。今、考えると妻はチキンが嫌いだった。悪いことをしてしまった。反省だ。合わせていてくれたんだね。ごめんね。中村屋から「相馬黒光」さんを知り、そして稀有の名作「女」を知った。荻原守衛 作。荻原は黒光を愛した。でもそれはかなわぬ愛。この像は粘土。荻原は冬の日、製作途中のこの像の粘土が乾かぬように自分の布団をかけていた。荻原自身は寒さに震えていた。彼は死ぬ間際、黒光に自分の遺品を処分しくれとたのむ。黒光への想いが書かれた書などの処分をお願いしたのだ。
この像はまさしく、想いの結晶。文展では、この作の前に無し、後にも無し、この作品以上のものは無いと評された。
いやはやすごい作品です。中村屋のカレーを知ったことが、荻原の作品にまでつながるんですね。
そして、次に紹介するカレー屋さんは、わたしにとっては近代、このお店を知ったのは10年ほど前だ。名前は「リトルセイロン」。スリランカのシェフが作る。カレーも素晴らしいが、なんといっても「チャイ」だ。茶葉とミルクで作られた飲み物。シンプルなだけに味に表れやすいと感じている。
これ以上のチャイにはまだ出会えていない。現地の小物も売っている。
妻はネックレスや指輪を買っていた。カレーはサラダ、チャイがセットになって2000円ほど。味は最高だね。何回も訪れた。
この場所は単身赴任の地だった。妻も息子もココが気に入り、赴任地の家に来るたびに食べに行ったた。カレーの味って癖になりますね。
最後は私が求めてやまないカレーだ。
そのカレー初めて食べたのは、もう50年近い昔。
東京のホテル内レストランでボーイのアルバイトをしていた。
そこでこのカレーを知った。「ビーフカレー」だ。薄切りのステーキ肉が入っている。肉は柔らかく、ステーキ肉はカレーに負けていない。きちんとステーキの味がする。なんか得した気分になる。どう混ぜ合わせたらこうなるのだろうか。私は調理場を見ていた。フランス料理でいうところの「フォン」から作られているのも見た。ステーキは焼いてから入れられているところも見た。家でステーキ肉を買ってきて試してみた。あの味には遠いどころか別物だ。無理だとはわかっている。わかっているがなんとかならないものかと思ったがあきらめた。プロの真似など出来る訳がない。
我が家では、月に1から2回ほどカレーを作る。
市販のカレールーを使う。今は二種類のカレールーを混ぜて使っている。
少数販売する地元横浜のカレールーと大手の中辛タイプだ。
ガラムマサラも入れている。辛さもちょうど良い。
具は玉ねぎ、にんじん。肉はステーキ肉を一口大に切り、鍋でこの肉を炒めるところから使っている。焼いて後入れはしない。自然とこうなった。
美味しい。美味しいと感じるのが人間の喜び、食の喜び。
たまに、病気で食べられない人、病気で食欲がなくなる人のことを知る。
辛いことだ。気持ちよく寝られて、美味しく食べられる。これが出来なくなる時がくる。人間の死だ。やむえない。せめて、美味しく食べられるうちはせっせと味を楽しみたいものだ。
ドライカレーの話もしなくちゃね。
ドライカレーはカレーなの? 疑問もわくが、でも好きだ。
カレールーと白いご飯のハーモニーも好きだが、野菜のきざんだ食感とカレーの香り、これも良いね。
どちらも目玉焼きのせる。黄味が固まっていない目玉焼きだ。
黄味が溶けて、カレーの辛さと黄味のまろやかさのハーモニーが最高。
う~ん、食べたくなってきた。
最後に料理をする男として成功させたい二品がある。
「あんこ作り」と、この「ビーフカレー」だ。
あ~、いつになることやら。
なんですって、あんこは買えば良いし、ビーフカレーは食べに行けって。
ですか。それでは征服したことにならないんですよ。
山は登りますよね。征服するために。そう征服欲も食欲も人間ですね。
失礼します。
#カレーにこれ入れる
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