我の境地(2023年の自由279)
「無価値である事に耐えられない」
「上の次元から見たら、下界の人無価値でしょ。それと一緒」
えーと、変なのが『偉い』とか『上か下か』って拘るから
「人は神の前にみな平等」「そして神の前では人は全て平等に無価値」と言ってやった訳。それでこんな話になってるかな
んん、概、合ってるね(上述)。遥か上の次元、今回関わってるのが確認上30数次元以上な訳で。そこから見ると、三次元の地球とか価値あるとかないとか以前の問題ってなるじゃん。まあ、でも、それは僕の言いたい事とちょっとずれる。でもその解釈でも合ってるから紹介しとく
僕が言いたいのは、色即是空の方かな
全てが価値無く意味を見失う世界。それは、今、君が「無価値である事に耐えられない」といった世界だ。上述のように、遥か上の次元から見れば、全ては小さな事って言うのと同じニュアンスになる。だから、全てが無価値と断じた上で、意味と命を拾い上げるんだよ。そうなると強い訳だ。時にそれは強烈な自我となり、他者を顧みないともなるが(僕はこの辺が弱い。自分で愛着不足を自認するところでもある)、真の意味でブレない自我を手にする事が出来る。執着を切る方法は戻す人いないと戻ってこれなくなるから、お勧めできないが
全て色を失った世界で、色付いていったものは簡単には壊せない強さとなる。無価値の中で、君は何の意味を拾い上げていくのか。それは、三次元レベルでは、強さを手にする者となる。意外と全てに価値が存在しない世界というのも悪くはない。穏やかで、慈愛の心のみをもって全てが見れる。所謂大悟の世界だよ
僕は、調整されているから、意味のない世界で意味を付けてきたんだ。だから、全てに意味がないとなる中でも強かに生きるさな。これは一種のメンタルトレーニングとも言えるかもしれない。「無価値である事に耐えられない」なら、この境地を手にすればいいと思うよ。僕は我の境地と呼んでるけどね。そうするにも、自分は色を持ってないとダメだから、「我思う故に我あり」は失わないようにね
「お釈迦さんと一緒やん」
どうなんだろうね。多分違うと思うよ。自分で一つ一つ色を付ける行為だから
「難しい」
ちょっと観念論に見えるかな。無我→我となる。ある意味極点である大悟の境地の先だからなあ。観念にしか見えないかなあ。説明する方も難しいな。
でもそれが生きるって事だと僕は考えてるって事。意味や無意味を越えて、「生きる」って事になるんで、僕はこの境地は好きなんだ。「生とはなんぞや」という事のある意味の解答だとも思ってる
空の世界に一つ一つ色を付けていく。これが「生きる」という事だと思うけどな
今日から対処していくから、明日からはどうなるか分からないよ。僕も忘れる努力はするし。何かあれば、今日答えるよ
たんびに「生きる意味」を探していれば、その内生きる意味だらけさ
「無価値な自分」に向き合い先を望んで煩悩の炎に焼かれ続ける。人間でも居ただろ?今の歌に込められてたね。煩悩即悟りともいうが、これは即ではないと思うけど、そんな価値の見つけ方もあるって話
「お疲れ様」
どういたしまして