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「旅」がしたい。
旅がしたい。
旅のエッセイを読んでいると、当たり前だけど「旅がしたい」とおもう。
旅といっても、大きな旅行でなくていい。
隣町の温泉とか、いつもは行かない公園のベンチとか、初めていくカフェとか、知らない図書館とか。
そんなんで、じゅうぶんだ。
「いや、そのくらい、すぐ行けばいいじゃん」。
旅に慣れた人達からは、呆れ顔でそう言われてしまいそうだ。
そうだ、行きたいなら、行けばいい。
しかし、ちょっと車に乗って、えいやっと出かけてしまえるようなフットワークの軽さが、わたしにはない。
こわがりなのだ。
「旅には失敗がつきもの」と言って、思いつくように出かける人がうらやましい。
わたしは「念には念をタイプ」なので、出かける前の準備にひとしきり悩まなくては旅立てない。
それだけ準備しても、うまくいかないときはいかないものなのに。
それも分かっているので、時々「もうまったく準備しなくていいや!」と、勢いで出かけてしまう日もあって、そういうときは大抵とんでもない失敗をしてしまい、自分を責めながら帰路につくのだ。
うーん、旅下手。
旅に、「正解」も「成功」もない。
頭では、分かっているつもりなんだけどな。
「行くからには、うまく過ごしたい」という欲が、わたしを尻込みさせてしまう。
行くに行けないまま、ずるずると時は経ち、今日も「旅に出たい」と思うだけで過ぎていく。
◇◇◇
実際に、「もし、旅をするならどこだろう」と考えてみることにした。
携帯のメモに「旅をするなら」と書いてみる。
真っ先に思いついたのは、徒歩5分のカフェだった。
5分って、カフェって。
それって、もはや「旅」なのか・・・?
しかし、そんな小さな旅すら叶えてやっていない、わたし。
わたしはわたしに、もっと旅を味わわせてやらなきゃいけないと再確認する。
続いて、「海」「草原」「灯台」「山歩き」と書いてみる。
どれも具体性はない。
どうやら、自然と戯れたいようだというのは、分かる。
そのあとに出てきたのは、「温泉」。
わたしは温泉が好きなのに、子どもができてからはなかなか行けずに、参っている。
近所の温泉は、コロナ禍でつぶれてしまった。
温泉に飢えている。
温泉だ、温泉に入らせろ・・・!
わたしはメモに、「温泉、温泉、温泉」と3回書いた。
3回も書いてたら、行けるだろう、きっと。
憧れる「旅」のシチュエーションもある。
ひとり旅だ。
それも、電車の旅がいい。
車の運転をしていると、どうしても移動中にできることは限られてくる。
でも、電車なら、本が読める。
よく旅のお供に本を選んで持っていき、道中に読むと聞く。
めっちゃいい。
めちゃくちゃ憧れる。
静かな電車に揺られながら本を読む旅なんて。
どう?うん、最高。
景色を眺め、駅を通過して、そのときに本の文字を追う。
旅が終わったあと、読んだ本の内容と旅先の景色とがリンクして、それが忘れられなくなっちゃうんだって。
いいなあ。
電車で揺られるのもいいけれど、行き先は?
具体的に、「行きたいところ」も考えてみよう。
思いつくままに、書き出してみる。
最近、いちばん「行きたい!」とおもったのは、とある書店だ。
福井県の敦賀にある「ちえなみき」。
三宅香帆さんのYouTubeで知って、「はあ!?行きたい!」となった、スーパー素敵な大型書店。
おしゃれで、かわいくて、ユニークな建物の作りに、本のラインナップ。
眺めているだけで、いくらでも時間が過ぎてしまいそうな予感がする。
わくわく。
調べてみると、子どもが遊べる場所もあるそうなので、我が家の次の旅行先は「福井県敦賀市」と決まっている。
夫も賛成してくれた。
行ったことがあるけど、もう一度行きたいところもある。
候補は、二つ。
ひとつは、熱海の「来宮神社」だ。
昔、友人たちと行ったことがある。
神秘的で心が落ち着くすばらしい場所だったのだけど、「ひとりで見たい」というわたしに友人は「なんで!?いっしょに行く!」と引かなかった。
わたしは学生の頃から、「旅先でふらっとひとりになりたい病」にかかっており、「何でもずっと一緒旅」よりも、「誰かと旅行しているけど、時々一人旅」みたいなことを希望しているのだけど、あまり分かってくれる友人はいなかった。
だから、その「来宮神社」も、自分のペースで見てまわることができず、もう何年も「もう一度、ひとりで心ゆくまでそこにいたい」とおもっている。
熱海は、関西に住んでいるわたしにとって、とても遠い。
もう少し子どもたちが大きくなって、それこそ「ひとり」になれそうなときがあったら、ぜひ訪れたい場所のひとつだ。
二つあるといった、もうひとつ。
それは、「長崎県」だ。
これまで、長崎県には3回ほど訪れたことがあるのだけど、わたしはなぜか、長崎県にとても惹かれている。
長崎県の空気が好きだった、とでも言えばいいのか。
それとも、たまたま長崎での思い出が楽しいものばかりだったからだろうか。
「長崎ランタンフェスティバル」や「九十九島」、有名な観光名所、町の散策など、毎度違う場所でさまざまな思い出をつくってきたけど、どこでも何でも楽しかった。
なにより、気分がよかった。
いつも気持ちのいい風が吹いていて、暑くも寒くもない日々を過ごせた。
たまたま訪れた日が、そうだっただけなのかもしれないが。
もう10年以上前のことだ。
だけど、もう一度行きたい。
「長崎県」に、もう一度降り立って、風をおもいっきり浴びたいのだ。
◇◇◇
徒歩5分のカフェから、遠い長崎県まで。
わたしのしたい「旅」は、いったいどこまでが旅なのだろうか。
どんな旅を求めているのか。
誰と行くのか。
何をして、何を得たいとおもっているのか。
書き出してみても、明確な願望はない。
でも、旅を想像することは、わたしの心を自由にした。
何もかもから解き放たれたい気分に駆られて、思わず夫に「旅に出たい」とつぶやくと、夫は「あったかくなってからね」と、寒い国の人のようなことを言って、布団にもぐった。
__あたたかくなったら、か。
旅はいつでも、どこへでも行けるものだけど、だからこそ「行こう!」と決めなければ、ずっと行けない。
少なくとも、我が家はそんなところがある。
夫も、長男も、「家が大好き」なのだから。
旅に出よう。
わたしが、そう言おう。
今年の目標、ひとつ追加。
みんなで、夫婦で、ひとりで、「旅をする」。