「お父さんのふしぎな歯ブラシ」。
タロウくんの歯ブラシは、どこにでもある普通の歯ブラシです。
でも、お父さんに磨いてもらうときだけ、不思議なことが起こります。
磨くたびに、味が変わるのです。
お父さんが楽しい気分のときには、歯みがきは甘くなります。
とろけるような甘い香りが、口いっぱいに広がります。
まるで、美味しいジュースを飲んでるみたい。
だけど、お父さんが疲れているときは、苦くなります。
仕事が大変で疲れているときは、サイアクです。
苦くてまずくて、薬みたいな味が口の中に広がります。おえ。
タロウくんは、苦くて苦くて、おもわず舌を突き出してしまいます。
お父さんが、急いで居るときも、味はよくありません。
朝、仕事に行く前の仕上げ磨きは、塩のように辛いのです。
ときどき、ピリッと舌に雷が落ちたみたいな辛さになるときがあって、そんなときお父さんは、遅刻しそうなくらい焦っています。
タロウくんは、甘くて美味しい歯みがきをしてほしいので、お父さんに優しくします。
疲れた顔のお父さんの頭を、よしよしと撫でてやります。
すると、お父さんの目が細くなり、タロウくんの細い体をぎゅーっと力強く抱きしめてくれます。
そのあとの歯みがきは、すこし甘いのです。
こんなことが起こるのは、お父さんだけです。
自分でやっても、お母さんがやっても、味は変わりません。いつも使ってるブドウ味の歯磨き粉の味がするだけです。
タロウくんは、不思議でした。
でも、そのままでいいと思っていました。
*
ある日の寝る前。
いつものようにお父さんがタロウくんを膝に乗せて、仕上げ磨きをしてくれました。
う、苦い。
お父さんを見上げると、今にも寝そうなくらい目がトロンとしています。
最近、忙しくて帰りも遅いしなあ。
タロウくんは、そのまますばやくお父さんと布団に潜って寝ることにしました。
しかし、次の日。
また、歯みがきが苦いのです。
あいかわらず、お父さんの帰りは遅く、顔は真っ青です。
タロウくんは、あまりに苦いので、その日はお母さんに磨いてもらいました。
お父さんは少し、しょんぼりしていました。
次の日も、また次の日も。
お父さんの帰りは遅く、歯みがきは苦い味のままでした。
タロウくんは、だんだん心配になってきました。
このまま、毎日お父さんの帰りが遅かったら、歯みがきはずーっと苦いのかな。
いつまでも苦い歯みがきは、イヤだな。
なんとか、甘くならないだろうか。
タロウくんは、考えました。
寝ているときも、ずっと考えて。
次の日、いいことを思いつきました。
夜。
いつもどおり、帰りの遅かったお父さんが「タロウ、歯みがきして寝るよ」と言いました。
タロウくんは、「ちょっと待ってね」と言うと、急いで洗面所の歯ブラシを手に取りました。
そして、お父さんに見られないように、そのままキッチンに向かいました。
冷蔵庫を、開けるためです。
タロウくんは、冷蔵庫から「ホイップクリーム」をとり出しました。
昨日、おやつの時間に、お母さんとパフェ作りをしたときに使った、しぼりかけのホイップクリーム。
まだ、たっぷり余っていました。
タロウくんは、そのクリームを、すこしだけ歯ブラシにのせました。
白いふっくらしたクリームは、まるで歯みごき粉みたい。
タロウくんは、そのハブラシを持って、お父さんのところに向かいました。
そして、いつもみたいに、膝に寝転がって、仕上げ磨きをしてもらいました。
お父さんが、タロウくんの口に歯ブラシを入れました。
すると。
わあ!あまーい!
生クリームの甘さが、口いっぱいに広がりました。
おやつに食べた、パフェの味です。
タロウくんは嬉しくなって、目を細めて笑いました。
すると、それを見たお父さんが、ふしぎそうな顔で聞きました。
「どう?今日も苦い?」
タロウくんは、にっこりしたまま言いました。
「ううん、今日はとっても甘いよ」
すると、お父さんはキョトンとして、そのあとフフフと笑いました。
おや、なんだか嬉しそうです。
さっきまで、あんなにやつれていたのに。
なぜか、安心した顔でにこにこ笑うのです。
すると、あら?
生クリームの味だった口の中に、さらに甘みが加わりました。
フルーティなジュースみたい。
優しい甘みと香りがします。
タロウくんは、ますます嬉しくなって、機嫌よく口を開けました。
お父さんにしっかり歯みがきしてもらって、最後に、口をゆすぎました。
それから、ふたりは手をつないで寝室に向かいました。
ならんで布団に潜りこみ、「おやすみ」と言って、目を閉じました。
次の日から、お父さんの歯みがきは、すっかり甘くなりました。
タロウくんが、クリームを使わなくてもへいきなくらいにね。
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