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真似したくなるような文章を、そばに。
「こんなふうに書きたい」とおもえる文章があるといい。
内容は違えど、雰囲気や書きぶり、言葉遣い、文体など。
何となく「この文章好きだなあ」とおもえるものがあって、それが手元にあると尚更良い。
自分が書くときの、指針になる。
◇
わたしの場合、「日記」はくどうれいんさんの『日記の練習』をよりどころにしている。
大前提で、くどうれいんさんのような文章は、わたしには書けない。
絶対に、書けない。
『日記の練習』を読めば読むほど、そして、自分自身で日記を書けば書くほどに、その差は確実に分かる。
だから、あくまで「こんな感じで書きたい」という憧れである。
わたしは、くどうれいんさん本人になりたいわけではない。
だから、文章をまるごと真似しようとしなくてもいいし、実際真似しようにもできない。
書きたいことは、違うんだから。
そんな違いや差はあれど、「こんな感じで書けたらいいな」という目指す方向があるのは、とてもありがたいことだ。
それがあるのとないのとでは、文章の書きやすさがまったく違うのである。
日記を書いていて、「あれ?」と筆が止まったときには、『日記の練習』を読みなおす。
パラパラとめくって、文章をいくつか読んでいると、みずみずしくて、お茶目さやユーモアがあって、軽やかさと重みがあって、あのくどうれいんさんならではの文章の雰囲気が体にしみ込んでくる。
__そうそう、これこれ。
こういう感じだったな。
書きたい方向性を思い出す。
そしてまた、自分の日記に戻る。
スラスラと筆が走る。
手元に「本」という形で置いてあるので、迷ったときにはこうやって何度も助けてもらうことができる。
それが、手元に置いておくメリットだ。
三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』にも、同じようなことが書かれていた。
つまり、文章のお手本を持っておくんですね。
こんな文章が書けたらいいなあ、という理想の形を持っておく。
(中略)いつでもその文章を読み返せるようにしておきましょう。何度も理想の文章を読んでいると、その文章のテンポや言葉の使い方が、なんとなく自分の体に染み込んでくる感じがします。
日記はともかく、エッセイでは、明確に「こんな感じにしたい」と言えるものがない。
だから、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
自分がインプットしたものに影響されて、書きたい文章がわからなくなる。
『日記の練習』のように、具体的な指針を手元に置いておいておきたい。
本に限らず、「これいいな」とおもった文章だけ抜き取って、メモしておくのもいいだろう。
◇
同時に、「こういうのは、書きたくない」とおもう文章も、自分で理解しておくといい。
それは、古賀史健さんの『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に書かれていた。
このように、自分の"嫌い"を深く掘り下げていくと、最終的に書き手としての自分はどうありたいのか、という潜在的な欲求が明らかになってくる。
わたしの場合、「何か嫌だな」と感じるもののひとつは、「語りかけ口調」だ。
これは、ネットの記事に多い。
~と思いませんか?
~ですよね?
今、〇〇と思ったでしょう?
~だと感じたはずです。
適度にはさまれている分には、大丈夫。
でも、まくしたてるように「~でしょう?」「~ですよね?」と言われ続けると、記事を読んでいるうちに、自分の本当の感情を見失ってしまう。
まるで、洗脳でもされているみたいに。
「~と思ったでしょう?」と言われると、そう思ったような気がしてくる。
「~と感じたはずです」と言われると、そうは感じていない自分を、そう感じていると信じ込ませてしまう。
そうしないと、次には進めないから。
この記事には、認めてもらえないように感じてしまうから。
読んでいるのはこちらなのに、まるで文章の方からコントロールされているみたいな感覚。
それが、不快だ。
影響されやすい性格も、関係あるだろう。
だから、「長文で、まくしたててくる記事」は、なるべく読まないようにしている。
わたしには、合わない。
自衛しなければ。
違和感を覚える文章に出会うことで、「わたしはこういうのがイヤなんだな」と、自分を知ることができる。
わたしは、書き手側から、読み手の気持ちを勝手に決めるつけるような書き方はしたくない。
だからわたしも、なるべくそういう書き方をしよう、と決めた。
(していない、つもりだ)
「こうなりたい!」という、自分の目指す文章。
「こうはなりたくない!」という、自分が嫌だと感じる文章。
どちらも分かっていると、文章を書くときの迷いが少し軽くなる。
「自分らしい文章」を見つけやすくなる。
そして、「こうなりたい!」も「こうなりたくない!」も、見極めるためには、結局たくさんの文章に触れるしかない。
いろんな味のものを試してみて、自分の気持ちを探ること。
それが、書きたい文章を見つけるためのヒントになるだろう。