わたしが、吐き出したかったもの。
何かを吐き出したい。
そう思って、ペンをとった。
がりがりがり。
削るような音を立てて、手帳の上をペンがすべる。
この感覚は、あれだ。
中学生の頃、ルーズリーフにしがみつくように「絵」を描いていたときによく似ている。
あの頃は、毎日絵を描いた。
何枚も、何枚も。
描かずにはいられなかった。
頭の中に次々と浮かぶストーリーやキャラクターたちが、どんどん勝手に動き出す。
それを何とか形にしようと、想像のとおりに描いてみるんだけど、うまくいかない。
「わたしが思い描いているとおり、そのまんまをアニメーションにしてくれよ」と何度思ったことか。
今でもよく思う。
しかし、そんな都合の良い「自動出力装置」は発明されていない。
だからわたしは、次は「絵」を「文章」に変えて、パソコンや携帯や、手帳にしがみつきながら、またせっせと何かを書いている。
頭の中のそのまんまを書きのこそうと、毎日、毎日、必死になって。
大人のわたしと、中学生のわたし。
やっていることは、ほとんど変わっていない。
いつも何かを吐き出したくて、たまらないんだな、わたしは。
そんなに言うなら、教師なんぞやめて、文章を書く仕事でも目指せよ、と言いたくなる。
でも、しない。したくない。
そうしたくない。そうはなれない。
中学生のとき、漫画家やアニメーターやゲームクリエイターに憧れていたけど、決して進路希望票やプロフィール帳には、書かなかった。
夢と現実を区別して、身のほどをわきまえているつもりだった。
だけど。
またこうして、今度は「文章」で、夢を見たり、覚めたりしているということは、わたしは内心、クリエイティブな仕事がしたいとおもっているのかもしれない。
ほんとうは。
それを認めるわけには、いかないんだけど。
◇◇◇
むかし、『13歳のハローワーク』という本で「作家」を調べたとき、書いてあった内容が忘れられない。
みたいなニュアンスのことがたしか書いてあって、(正確には、ちがったかもしれない)、わたしは「いや、今なりたいんじゃ!」と反抗的な態度をとった記憶がある。
だから、(今すぐ書いてやるわ)と意気込んで小説を書き出したのだ。
そしてすぐに、手が止まる。
__書けないのだ、まったく。
こういう設定にしたいとおもっても、ふさわしい日本語が分からない。
表現したい情景を思い浮かんでも、まったく言葉にならない。
『耳をすませば』の月島雫が、小説を書いたあとに「大学へ行く」という選択をとったのも、うなずける。
中学生のわたしは、あまりに無知で、知らないことが多すぎたのだった。
だから、「作家」は最後なのか。
わたしは、わたしなりにそれに納得して、『13歳のハローワーク』に従って、書くのは一旦やめることにした。
今はまだ、無理なんだ。
「書く仕事」という選択は、最後の最後までとっておくのがいいんだ。
あれから20年たった。
こうして、心のうちを、ある程度の文章で出力できるようにはなったけど、相変わらず小説は書けない。
いつになったら、書けるんだろう。
いつが、その最後の日なんだろう。
わたしより若い人も、老いた人も、関係なく「書く仕事」をして、「作家」をしている。
あの日、『13歳のハローワーク』に納得した気持ちに間違いはなかったとおもうけど、たとえ『13歳のハローワーク』を読んでも、やった人はやっただろうし、書きたい人は書いたわけで。
つまり、ただ『13歳のハローワーク』の言葉を鵜呑みにして、書くのをさっさとやめてしまったわたしは所詮、その程度のわたしだったということだ。
ほんとうの気持ちに気づかないフリをした。
夢を夢だと嘲笑って、現実を受け入れる大人のような顔をしただけ。
本当はただ、黙って書いておけばよかった。
先のことなんで何も考えず、ただ一心不乱に絵を描いていた、あの頃みたいに。
◇◇◇
この文章は、全部手書きで書いた。
手帳にペンで、とつとつと文字を書いて、そのあとパソコンで打ち直したのだ。
そのくらいのスピードで書いたとき、一体わたしが何を吐き出すのか、たしかめてみたかった。
手が痛かった。
ペンを強く握りしめていたせいで、手のひら汗でぬるぬるしているし、持ち方が悪いので、薬指の変なところにペンだこみたいな固い部分ができた。
でも、わたしはこれを、手書きで書いてよかったなとおもう。
手書きじゃなきゃ、出てこなかったような気がする。
この手に残る地味な痛みも、手のひらの汗の気持ち悪さも、頭のゆるやかな回転の仕方も、今のわたしには心地いい。
なるほど。
わたしは、こういうことを吐き出したかったのか。
書き終えて、手帳を見返して、まるで他人の記録を見ているような気持ちになって、われに返る。
中学生の頃のわたしと重なり合う、今のわたし。
書きたい気持ち、そのほんのささやかな本心のカケラ。
それが今夜、わたしが吐き出したかったもの。