夏休み、「楽しみ」に目を向けて。
昨日の、糸井重里さんの文章に刺された。
グサリ。
ほんとにそうです。はい。
肝に銘じなければ。
つい日々への不満にばかり目が向いてしまって、それをnoteにも、書き散らしそうになる。
なるべく、オブラートに。
せめて、クスリと笑えるような感じにして書く。
そんな余裕と冷静さを心がけて書いているのだが、うまくできないときもある。
そもそも、不満にばかり目を向けて生きているというのは、不幸以外の何でもない。
楽しいことに、目を向ける。
心が軽くなる方に、足を向ける。
自分が生きやすいほうへ、意識を向ける。
そういうクセをつけていきたい。
気にいらないことばかり詰め込んだ魔法の壺は、見えない隅に隠しておくのだ。
◇◇◇
不満といえば、いよいよ「夏休み」。
長男は、本日終業式をむかえる。
わたしが育休で家にいるので、長男は40日近くもお休みになる。
「夏休み」があるのは、クラスでたった3名。
その3名だけが、今日の終業式を終えて、あらゆる荷物を持ち帰り、週明けからは友達にも先生にも一切会わないまま、40日を過ごすのである。
それってどうなん、と不満がわく。
いろいろおもうこともあるし、悩みもあるし、誰を責めたいわけでもないけど。
どうすんねん、この40日。
40日ほぼワンオペになる身としては、この怒りでも悲しみでもない感情を、どこかに吐き出してしまいたくなる。
でも、言えない。
ぶちまけそうになり、あわてて手で口を覆う。
でも、糸井さんの言うように、不満なことばかり書いていても、なにも変わらない。
なにより、そういうことを書いていると、そういう思考が染み付いちゃって、自然と生き方にもあらわれる。
夏休み、40日もあって、サイアク。
そう思ってむっつりしていると、ほんとうに楽しくない夏休みになってしまう。
だから、「楽しみ」なことを考えよう。
楽しみがないなら、つくればいいのだ。
◇◇◇
「楽しみ」な予定は、いくつかある。
昨年、友達に誘われて、海水浴に出かけた。
次男はちょうど1歳になるとき。
まだ小さいので迷ったが、行って正解。
子どもたちは、とてもよろこんだ。
小さな民宿に泊まり、のんびり海を泳ぐ。
その思い出がずいぶん心に残っていたようで、水嫌いの長男は「今年もおなじ海に行きたい」と言い出した。
その願い、叶えてやらねば!
ということで、夫の仕事の隙間をぬって、今年の海水浴の予定が決まった。
楽しみ、その1だ。
わたしと夫は、海よりも、我が子が喜ぶすがたを見るのが「楽しみ」である。
それから、実家にも帰るつもりだ。
一年ぶりの帰省となる。
広島の田舎で、わたしの両親や、弟や妹たちと、慣れ親しんだ家で、ご飯を食べる。
それだけだけど、わたしは「楽しみ」。
長男も、広島を楽しみにしてくれている。
ほかにも、「夏休みどうする問題」を悩みを抱えたママ友と、行けるところを探している。
仲間がいる。
それだけで、気持ちが救われる。
手は足りないけど、なんとかなるような気がしてくるから心強い。
__なあんだ、あるじゃん。
夏休みの「楽しみ」。
きっと、過ごしてみるとあっという間で。
そしてこんな夏休みは、二度と来ない。
仕事復帰すれば、こんなに休みが続くことはないのだから。
最後の、「ひまな夏休み」。
ぜいたくな夏を、すこしでも楽しく。
きっと、なんとかなるよ。ね。