「リビング」は、みんなの「居場所」になるか。
家のリビングは、みんなの「居場所」になっているだろうか。
子どもの頃。
リビングには、テレビがあって、こたつやソファーがあって、家事をしている両親がいて、弟や妹がいる「賑わい」の場所だった。
そこで、よくトランプを広げたり、絵を描いたり、テレビを見て笑ったり。
ご飯を食べたあとには、ソファーに座ってアイスを食べた。
父は、椅子でちまちまと酒を呑み、母はテレビに出てくるお笑い芸人にツッこんだ。
平和だった。
あれは、まちがいなく「居場所」だったとおもう。
居心地のいいリビングだった。
しかし、中学生になった頃から、リビングが嫌いになった。
母が「勉強しろ」しか言わなくなったのだ。
ご飯を食べたら、ソファーで一息つく間もなく、「部屋で勉強したら?」。
テレビを見る間も、誰かと話す間もない。
くつろいでいても、本を読んでいても、弟や妹の相手をしていても、「いいから部屋で勉強したら?」の一点張り。
そんなに四六時中、勉強できるわけない。
お母さんはそんなんできるの!?
と言いたかったし、言ったことがあったかもしれない。
「学生は勉強が仕事」しか言わない母にうんざりしてしまい、いつしかわたしは、食後すぐに自室にこもるようになってしまった。
理由は、もちろんそれだけではない。
この頃から、両親の不仲が爆発し、リビングは緊迫した空気に包まれていた。
小言ばかりの母、苛立ってキレる父。
そんなおそろしいリビングに、いられるわけがない!
よく弟と妹を連れて、自室に逃げた。
「どうしてこの家は、部屋に鍵がついていないんだろう!」と悩んだ。
もし鍵がついていたら、立てこもって、二階の窓からこっそり逃げてやるのに。
よく、弟と妹を連れて、夜の町を歩く想像をしては途方に暮れた。
無理だ、とおもった。
ほんとうは、ただリビングにいたかった。
◇
うちのリビングは、そんなふうにしたくない。
みんなが居心地がよくて、いつまでも「え~、ここでテレビ見たい~」と駄々をこねてしまうような。
心が安らぐ「居場所」にしたい。
結婚した頃は、そう思っていたはずなのに。
少し前、わたしは夫に真逆のことをしていた。
一時期、夫がソファーでごろごろすると、無性に腹が立った。
なぜ、仕事終わりにそこで寝ころぶの?
なぜ皿も片づけずに、そこに座るの?
なぜ休日だからって、ダラダラとテレビの前に居座るの?
邪魔だ。不快だ。
「なぜ?」が止まらなかった。
思えばそれは、わたしのSOSだったのだ。
育児と家事に疲弊している横で、くつろがれると、「助けてよ!」と叫びたくなった。
しかし、なぜか「助けてよ!」が出ない。
だから、せめて目の前から排除しようとして、「リビングで横になるなら、二階の寝室で寝て!」とよく言った。
今はそんなことはない。
わたしはそんな気持ちにならなくなったし、夫もわたしの思いを理解してくれて、行動が変わってきた。
しかし、それでよかったのだろうか。
本来、リビングはくつろぎの場であって、ソファーに横たわって、テレビを見て、何が悪いんだろう。
もしわたしが、夫の「くつろぎ」を奪ってしまったのだとしたら。
将来、誰も寄り付かないリビングを想像して、わたしは至極反省した。
そして、あらためて考えた。
みんなにとって、リビング=心からくつろげる「居場所」になるというのは、一体どういうことなんだろう、と。
◇
そんなとき、以前読んだ『なんでも見つかる夜に心だけが見つからない』の東畑開人さんのXが目にとまった。
「やることの合間の雑談を主目的に人が集まるのが居場所である」。
この投稿では、「リビング」とか「家族」とかよりも、もっと少し広い人間関係における「居場所」を想定してのお話かもしれない。
でも、ちょうど「リビング」について考えていたわたしにとって、「やることの合間の雑談が主目的」という言葉は、妙にしっくりきた。
そうか。
だからか。
中学生の頃、実家のリビングが居心地悪かったのは、「雑談」がなかったからだったのか。
「学生は勉強が仕事!」しか言わない母。
不仲な両親の、とげとげしい会話。
そんな無駄も余裕もない世界=リビング。
そんなところが、どうして「居場所」になれるだろうか。
リビングは「雑談」の場。
もっと無駄で、しょうもなくて、「だから何?」みたいな不毛な会話を繰り広げて、だらだらと、好きなことをして過ごしたらいいのだ。
そして、ある程度そこで心を休めたら、「ほな、二階で勉強するかあ」と解散するような。
あの頃も、そういうことができたらよかったなあ。
これから先。
わたしと、夫と、長男と、次男の4人。
もうしばらく、この「リビング」で過ごすことになる。
のびのびと、足をひろげて、映画を観たり、本を読んだり、お菓子をつまんだりしながら、くだらないねと笑いあえる。
そんな「居場所」になりますように。
__いや、わたしが一番心がけなきゃ。
わたしが、「リビング」を「居場所」にするんだ。