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図書館で「受験」の空気を感じながら。
ひさしぶりに、ひとりで図書館へ。
ふだん利用している小さな図書館とは違って、隣町の大きな図書館に来た。
たくさんの本棚に挟まるように、勉強机が並んでいて、日曜日にもかかわらず、たくさんの学生さんで埋め尽くされていた。
ああ、「受験」か。
テーブルの筆箱や、積みあがったワーク。
カリカリと音を立てながら、真剣に数学に取り組む女の子。
隣の友人とひそひそ話をしながら、教科書をめくる男の子。
ある者は立ち上がって、おもむろに本棚に吸い込まれていき、べつの二人組は、あきらめたように出て行って、しばらくすると近くのコンビニの袋に大量のお菓子をつめこんで、戻ってきた。
「受験」シーズン。
懐かしい。
しかし、それももう、じきに終わる。
机を埋め尽くす中高生たちに、どんな「受験物語」があったのかは、分からない。
がんばったのか、適当だったのか。
やりきったのか、後悔があるのか。
何にせよ、この時期ならではの「受験」の空気は、わたしにとっても忘れられない。
「受験」には、独特な匂いがある。
特に、こうして図書館で「受験勉強」をする時間は、わたしの学生時代の多くを占めている。
高校受験、大学受験。
どちらの受験でも、図書館には大変お世話になった。
苦い思い出も、明るい思い出も、全部わたしの
「青春」の1ページだ。
わたしは空いている席に座って、ノートをひらいた。
書きながら、わたしの意識は高校受験の頃へととんでゆく。
あの日も、図書館にいた。
K君と話した、あの日も。
◇
中学3年生のとき。
部活のない休日ルーティンは、開館と同時に図書館に飛び込むことだった。
開館のチャイムと同時に館内へ飛び込み、いちばんいい窓際の席を確保する。
今日のわたしの居場所は、ここ。
それが、わたしの休日のはじまりだった。
しばらくは、熱心に問題を解いたり、参考書を読み込んだりするんだけど、すぐに飽きてしまって、ふらふらと本棚に吸い込まれたり、窓から空を見上げたりした。
大きな窓から見える空は、だいたいいつも青空だった。
いつものように勉強机を陣取って、ぼんやりしていた、ある日。
当時好きだったK君が、たまたま近くの席に座ったのだ。
「よっ」と声をかけてくれるK君。
わたしも「よっ」と手をあげた。
K君は、わたしの座る席に近づいてきて、わたしの広げた参考書をのぞきこんだ。
「勉強してる?」
「全然」
「だよなあ」
わたしとK君は、田舎では珍しい、市外の進学校を受験するメンバーだった。
メンバーといっても、わたしと、K君と、あともうひとりしかいない。
わたしとK君は、同じくらいの学力で、同じくらいやる気がなかったけど、あともうひとりは別格で、彼は図書館で見たことがなかった。
「やる気起こらん」
K君はそう言って、笑った。
「T君は、ちゃんとやってそうよね」
わたしが、あとひとりの別格の受験メンバーの名前をあげると、K君もうなずいて「あいつは受かるな」と言った。
わたしたちは、お互いに分かっていた。
ほんとうは、市外の進学校に興味はないこと。
どうせ、わたしたちは受からないということ。
それよりも、地元のいちばん近い高校に行って、それなりに勉強して、それなりに部活して、それなりに「青春」できたら。
それでいいって。
でも、そんなことは言えなかったので、「まあ、うちらもがんばろ」とわたしが言うと、K君は「偉いなあ」と言って去っていった。
その日は、ふわふわと浮かれてしまって、机に座ってもまったく勉強がはかどらなかった。
結局、わたしもK君も、進学校を落ちた。
T君は受かったらしいが、どうなったのかは知らない。
K君とわたしは、市内の同じ高校に進み、たまたま3年間同じクラスになって、もう少しだけ話すことができた。
でも、それだけ。
高校卒業後、いちどもK君と会ってはいない。
図書館で過ごしたたくさんの時間。
たくさんの思い出があるけれど。
K君が机をたずねてきてくれたのは、その一回きりだった。
だからだろうか。
K君との何気ない会話だけが、妙に鮮やかに、わたしの心にしまわれている。
大事に、大事に。
◇
カリカリカリ。
隣の女子高生が、問題を解くシャーペンの音で、われに返った。
そっと、あたりを見回す。
目の前の学生さんと目が合いそうになって、あわててそっと手元に目線を下ろした。
すっかり思い出に浸り込んでいた。
時計を見れば、夕方が近づいている。
夫に預けてきた息子たちのことが急に心配になって、わたしはいそいそと帰り支度を始めた。
周りの何人かも、諦めたように帰るようで、それに続いて外へ出た。
外は、ひんやりと冷たい。
図書館から出た瞬間、「受験」の独特の空気は寒さに紛れて消えてしまい、すがすがしい気持ちだけが体に残った。
べつに、わたしは受験生じゃないけど。
でもなんとなく、大きく吸って、吐く。
一緒に館外へ出てきた学生たちは、「またね」と言い合いながら、自転車にまたがり、それぞれの方角へ帰って行った。
空は、まだ水色。
彼らはまた、日が暮れるまで、どこかで勉強するのだろうか。
「受験」の思い出は、本当はもっとある。
もっと重くて、辛くて、惨めな思い出だ。
でも、それを書く気にはならなかった。
今は。
それよりも、一緒に「受験」の空気を味わった仲間たちのこと。
支えてくださった先生のこと。
そして、わたしの居場所であった「図書館」のこと、K君のことを書きたいとおもった。
それらは、いつまでも覚えておきたいものだから。