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「本を買う」という物語を、ふたたび。


ほんとうは、書店で本を買いたい。

でも、住む町には書店が少ない。
デパートの一階の、家電量販店と食料品売り場のあいだに挟まっている、小ぶりな書店だけ。

隣の市まで行けば、TSUTAYAがある。
さらに1時間ほど車で走れば、スタバがくっついた大きめの書店もある。

子どもが生まれるまでは、1時間でも2時間でも、車を走らせ書店に向かい、こころゆくまで本を探した。

しかし今は、そうもいかない。


子どもにとって、おとなが本を選んでいるのを待つなんて、退屈だ。
うちの息子たちももちろんそうで、すこし本屋に立ち寄ろうものなら、ぐずぐずと崩れたり、むやみに本を触ったり。

こりゃダメだ、と即座に退散。
目の前に本があるのに、本が買えない。
後ろ髪引かれる思いで、泣く泣く帰る。

書店は、遠い。


じゃあ、どうやって買うのかというと、もちろんネットになる。
Amazonやメルカリで本を注文する。
ありがたいことに、宅配の方がせっせと届けにきてくださる。
毎度、丁寧にポストに投函してくれる。

何度も頼んで、ごめんなさい。
なるべくまとめて頼むようにしているが、夫の分もあるので、連日うちに立ち寄らせている。
ほんとうに、いつもありがとうございます。

ネットで注文した本は、すぐに届く。
だから、すぐ読める。
読みたいとおもっているうちに読みたいので、その速さには感謝しかない。

__ないのだが。

ときどき、ふと虚しくなる。

本を選んで買う。
その行為は、もっとこう、「手間」と「時間」がかかったはずではなかったか。

買ってしまえば、あとは読むだけ。
そこに、手間も時間もない。

ただ、本との「出会い」や「選ぶ」行為には、それぞれのストーリーがあったはずなのだ。


◇◇◇


昔読んだ印象的な本は、出会ったところから覚えている。

先日書いた、トラウマ本との出会いも鮮明だし、子どもの頃の気に入っていた宮部みゆきさんの『ドリームバスター 』は、表紙がかっこいいから買った。

中学生のときにハマっていた小説『バトルロワイヤル』は、親にめちゃくちゃウケが悪くて。
いかに母の目をかいくぐって買うか、頭をひどく悩ませた。

少ないおこづかいと相談して、それでも買おうと決心し、レジに持っていくあの高揚感。
紙袋に入った一冊の本。
それを、自転車の前カゴに放り込んで、一刻も早く帰って読もうとペダルを漕いだ。

どれもこれも、その本に惹かれ、買うかどうか悩み、それでも買って、持ち帰って読むまでの過程があった。
そのすべてが、まるでひとつの「物語」のように、わたしの記憶にのこっているのだ。


でも、ネットで買った本は、ちがう。

だれかの紹介やレビューを読み、安く買えるサイトを探して、ないなら新刊でも買う価値があるだろうかと少し悩んで、けっきょく読みたいからいいか、と買う。
買うというより、ボタンをタップする。
すると、あとは忘れていても、勝手にポストに入っている。
そこに、あのころ感じた「物語」はない。


それでも、買いに行きづらいわたしが、簡単に本を手に入れられるネット。
その便利さには感謝しかないし、当然ながら、文句もない。

ただ、わたしは書店が恋しいのだ。
本屋さんで買ったときの、あの「物語」。
あれを、もういちど味わいたい。

その日、そこに行かなければ出会わなかった。
そのときのわたしでなければ、買わなかった。
そういう本こそ、大事に大事に、いつまでも手元にとどめておきたくなる。


最近よく話題にあげる島田潤一郎さんの本だって、最初の一冊は書店だった。

たまたま手に取り、表紙とタイトルに惹かれ、また棚に戻し、また取り出して。
結局買ったあのときの葛藤を、わたしはいまだに思い出せる。




これからもわたしは、ネットも使う。
使わざるを得ないし、使うから読めている。
便利さへの感謝も、忘れない。
届けてくださる方への感謝も。

ただ、便利さに流されて、本屋さんでしか味わえない「物語」があることを、忘れてしまわないようにしたい。







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