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持つべきは学歴ではなく、自分で考えるチカラ
講師をしているせいなのか、「学歴至上主義者」だと勘違いをされることもあったりします。勘弁してください。そんな訳ないじゃないですか。笑
「学歴は持っていた方がいいかどうか」
皆さんはご自分ではどう思っていますか。人生のどんなタイミングでこの記事を読んでくださっているのかにもよって、価値観や考え方に違いが出そうですね。
世代による価値観の違い
親世代の価値観と、子供世代の価値観はかなり大きく差がありそうです。
ご存知でしょうか。一昔前は、「離婚」だとか「転職」をするなんて、「国賊」並みの扱いを受けた時代があるという事を。主に昭和や平成の時代なのでしょうか。現在40代50代の友人に、そんな話を聞いたところ「あ、私その世代!」と言っていたので、私の世代の一つか二つ上の世代あたりが、ギリギリそういう価値観だったのではないかと想像しています。
怖いですよね。
私が大学生の就活を始めるかどうかの時、少なくとも「転職は数回経験するんだろうな」くらいの気持ちでしたし、離婚をしてシングル家庭の友人なんかももちろんいました。「価値観が合わないんなら離婚した方がいいよねぇ。離婚してもいいから人生で一度は結婚したいな」という話を同級生との女子会で話したこともあります。
離婚や転職することが、「国賊」って、なぜ?どうして?と、そちらを理解する方がむずかしいかもしれません。
今この記事を読んでくださっているあなたが、どんな世代なのか、そしてどんな個人としての価値観をお持ちなのかはわかりませんが、これから書く、私個人の価値観としての「学歴が必要かどうか」についての記事を読んで、改めて自分の価値観と向き合う機会となれば幸いです。
”学歴”を取りに行った大学受験
私は高校生の時に「学歴がないと日本の社会では生きていけない」という親からの脅し(?)を受けて、受験勉強を始めたように記憶しています。
そうです。全力で”学歴”を取りに行きました。若かったこともあるのでしょうが、お恥ずかしながら、親のあの言葉を丸っと信じてしまいました。
とは言え、当時、猪突猛進的に受験勉強をするには、”絶対的(妄信的)な正解”があった方がよかったんだろうな、とも思います。もし、当時ですね、「他にも選択肢があるわぁ~」という気持ちを持っていたら、あんなにストイックに勉強できたのかわかりませんので、これはこれで良かったのかな、と思うことにしています。
おかげさまで教える仕事に就けているのも、当時がむしゃらに勉強したおかげですのでね。
では、猛勉強の末、手に入れた”学歴”を、私はどんな場面で使用したのでしょうか?
果たして、学歴は私を助けてくれたのか?
学歴の使用場所ってどこなんでしょうか?
就活の時でしょうか?それもおそらく、新卒就活のタイミング?
現在、日本の社会では、大学4年生の時に就職活動を行います。全国の大学4年生がいっぺんに就職活動をするその場では、就活相談会が各会場で行われ、みんな同じリクルートスーツに身を包みながら活動をし、これまで「周りとの協調性」を教え込まれてきた日本の学生が「個性を出せ!」と、我々にはあまり馴染みのない自己PRの世界に放り込まれ、履歴書や志望理由書を提出し、グループディスカッションなどの採用試験に臨みます。
大学生になった人の多くは、このタイミングで初めて就職試験を受けるのではないでしょうか。
そして、採用側はたくさんいる学生をいちいち書類を見て判断していては時間が膨大にかかりすぎることから、学歴で線を引くのではないか、という事も噂されています。もちろんどこまでが本当かなんてわかりませんがね。
私が学歴を使うタイミングとしては多分そのタイミングだったと思うんですね。
しかし、私は大学4年生から教職課程をスタートしまして、留年をして、6年生の秋に卒業をしたんです。そして、母校に就職をしました。そもそも私の性格や学生時代の活動、大学生になってからもパンフレットの卒業生のコーナーへの掲載などに協力をしていたりと、卒業後も中々に密な関係だったこともありまして、その就職活動の時に「学歴」が効いたかというと、どうでしょうか。
おそらく、違う大学に通っていたとしても、採用になっていたんじゃないか?と思ってしまいます。
では次に、わたしはアルバイトやパート、派遣の仕事も含め、様々な職場を転々とすることが趣味(!)ですので、その応募の時に私の「学歴」が役に立っていたかどうか、です。これも疑わしいんですよね。
履歴書をお送りしただけで返事がない(不採用)の会社さんもあれば、面接になったとしても、そこでもちろん採用になる会社さんもあれば、落ちる会社さんもあります。果たしてどの程度「学歴」がわたしを助けてくれたのか?
そもそも社会人になってからの求職活動では、学歴ももちろん書きますが、今まで自分がどのような場所でどのような仕事をしてきたのか、もしくはどのような能力があるのかという点を見られているのではないでしょうか。
(実際問題として、そんなところは何も見ず、自分たちの職場に合う人かどうかだけを見られることだって山ほどあります。お互いのフィーリングって大事ですもんね)
となると、思うんです。わたし、学歴を使用する場所がなかったな?って。
わたしの意見では、学歴を使うタイミングって、人生の中で一瞬だけ(新卒就活の時のみ)です。
そんな一瞬のためだけに、果たして学歴は本当に必要なのでしょうか。
学歴以上にわたしを助けてくれたもの
わたしの人生の中で、個人での活動も含め何かお仕事をする上で、わたしのことを助けてくれたのは、学歴ではなく、「何とかしようと考え行動するチカラ」でした。
オーストラリアでのワーキングホリデーでは、ツアーガイドの仕事をしたいと、応募も出ていないのにとある会社さんに猛アピールして、断られても諦めなかった結果、ツアーガイドとして雇って頂いたりですね。
日本での、とあるお仕事の求人で、「TOEICのスコア730点以上」という条件があり、「スコアは持っていないけど日常英会話できます!」というアピールをしまして、無事にそのお仕事に就いたりですね。
自分で言うのもおかしいのですが、チャンスのこじ開け方がうまい気がします。
それと言うのも「何とかしよう!」という気持ち、そして考えてみてから、実際に行動するチカラが高いからではないか、というのが自己分析です。
受験勉強がわたしにくれたもの
自分で考え行動するチカラをですね、わたしは受験勉強をする中で獲得しました。
それまで、何か嫌なことがあったり、わからないことがあったり、少々の不都合な何かがあると、諦め、誰かのせいにし、嘆くぐらいしかできなかったわたしでしたが、そんな自分のことが好きではありませんでした。
大学受験はもしかしたら、自分を変える最後のきっかけなのかもしれないって思ったんですね。
だからこそ、わからない事や、うまくいかない事があっても、「これをどうにかするにはどうしたらいいんだー!」とジタバタするようになったんです。
もちろん自分一人では、ただジタバタするくらいしかアイディアが出ませんでしたが、先生や友人に助けを求め、サポートしてもらいながら、だんだんと自分でも問題に対応できるように成長して行ったんです。
英文法などの科目に対する悩みから、ついつい怠けそうになってしまう自分の扱い方、進路の考え方など、本当にいろいろな事について考える必要があったんですよねぇ。受験生って大忙しですね。
どんなことでも、完璧に解決することはむずかしくとも、最善を尽くすことはできる。
そんな風に思えるようになってから、むしろ”最善のためのアイディア”を出すことがとてもたのしくなりました。こんなに楽しい問題ってないです。
このワクワクは、大人になってからももちろん続いています。この気持ちのおかげで、現在でもうまくいかなかったり、何か壁に頭がくっついてしまっているなぁと思うような時でも、そんな自分の事を楽しめています。
という訳で、受験勉強しててよかった~!でも学歴を使うタイミングなかった~!という内容が、今回の記事のテーマでした。笑
みなさんは学歴についてどうお考えですか?よかったらコメント欄で教えてくださいね。
※サムネイル画像は、みんなのフォトギャラリーより、ビトネさんの作品をお借りしています。ありがとうございます。