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懐かしの’70~’80年代ナショナル製ラジカセRQ-4050

1978年製のナショナル(現Panasonic)ポータブルラジオカセットデッキ「RQ-4050」は、小学生の頃から私にとってよい友だちだ。

自分でケースをバラして外も中身もきれいに清掃した以外に修理やレストアをしたことはないが、とりたてて不具合はない(スピーカーバランスのツマミが欠損していることをのぞいて)。今でもラジオの受信感度は抜群だし、カセットレコーダーが機能する。オートリバース機能のないシングルカセットは、テープ片面の再生が終われば手動で裏返す必要がある。ラジオ同調具合に合わせて点灯するライト、入力される音量の大小に連動して動くインジケーターは子ども心にハイテク感あふれる仕様であった。

みんなが広場に集まって行う「ラジオ体操」のラジオを私が家から持って来る係になったときの夏休みの早朝は、このRQ-4050がとりわけ人前で大活躍したし、TVとは違っておもしろいお気に入りのラジオ番組があって、洋楽・邦楽の最新ヒットチャートを無料で聴くことができたし、録音した自分の声を初めて自分の耳で聞いてみて、聞き覚えのない自分自身の声に驚いたのもこのラジカセのおかげだ。

たくさんのラジオ番組を録音し、ラジオでかかったお気に入りの曲を録音したカセットテープを何度も何度も巻き戻して聴いた。

ナショナル製RQ-4050

高校を卒業し一人暮らしを始めた時、4畳半のアパートで一人聴いたラジオは、心細さを忘れさせてくれた。大学生時代、新しいラジカセを手に入れても、ラジオを聞く時は、受信感度が良く音声がクリアに聞こえるこのラジカセが欠かせなかった。

RQ-4050は1970年代の発売当時としては、スタンダードな普及品で比較的廉価な製品だったようだ―というのも、私がこのラジカセを父から譲り受けたのが1980年代初頭で、その時代にはこの機械に関する詳細な情報を得る方法がなかったのだ。当時、無線機やラジオの専門雑誌は存在したが、簡単に調べることなどできようもなかった。Windows95が登場し、インターネットが広く普及してようやく、同じ型のラジオを今も大切に所有している人が世の中にはたくさんいることが分かった。

1978年当時の定価は39,800円。廉価とはいっても'78年当時のサラリーマンの月給が80,000円程度だとすれば、ひと月の稼ぎの約半分にもおよぶ価格の品物は、けして安価なものではなかったと思う。

「おいしい給食」の一場面に登場したRQ-4050 (C)2019「おいしい給食」製作委員会

最近、Amazonプライムビデオでも見ることができるテレビドラマ「おいしい給食」にはまっていて、いきなりシーズン1の第一話、英語の授業のシーンにRQ-4050が登場して胸が熱くなった。このドラマの時代背景は1984年なのだが、まさしくRQ-4050などラジカセが大活躍した時代だった。

ドラマの中のRQ-4050を注意深く見ると、英語の授業のリスニングや発音の練習に使われているシーンのはずだが、実は肝心のカセットテープがデッキに入っていないことに気づく。そこはご愛嬌としても、'84年当時の時代考証がセットの中の小道具にもちゃんと生かされていることに感心した。

同級生にダビングしてもらったテープの中身は、MCハマーとC&Cミュージックファクトリーズ。

サブスクリプションサービスのデジタルオーディオがすっかり主流になった最近になって、昔のカセットテープやラジカセ、ポータブルカセットプレーヤー、バブル時代の贅を尽くした高価なラジカセ、いわゆる「バブカセ」などがコアなユーザーだけでなく、当時を知らない若い世代からも注目を集めている。新曲を敢えてカセットテープで販売するアーティストもいたり、テープを聴くためのプレーヤーもこの時代にあえて新型が発売されたりするなど空前のにぎわいを見せている。

'90年代後半に発売されていたPanasonicやSONY、アイワやフナイなどのラジカセやポータブル音楽機器の市場は、まさに百花繚乱の時代だった。各メーカーが競って毎年のように最新モデルを発表した。家電店の棚にはずらり新型が並び、おいそれと買える金額ではなかったが、テレビCMを見てカタログを見比べ、はたして必要だったのかどうか分からない派手なギミック、バッテリーのもち時間や多機能なリモコン、たくさんのボタンが並ぶデザインにワクワクしていた。

例えば、現在の大手家電メーカーのラジカセやミニコンポの商品紹介がされているウェブサイト、商品カタログを見てほしい。そのラインナップがいかにとぼしく、当然のように海外生産され、性能や機能に特筆すべき点がないことに気が付くだろう。消費者の需要がない、とくに若者世代のニーズがないといわれればその通りだろうが、メーカーとして注力していないことがはっきりと分かる。

これはあくまで個人的で懐古主義的な持論だが、家電メーカーが若者向け音楽機器周辺に十分な資本を投入できた時代は、この先にあるのかどうか本当のところは分からないが、この先にきっとあるはずの「輝かしい未来」をめざした豊かな時代だった。いや単に若者世代が多かっただけ―とはいえ、若者世代が多くいることは、その人数分とさらに産まれてくる次世代の数と、そしてさらに後世へとつながる子や孫の数だけ将来の希望がある。

日本は、いまやかつてのように、多くの若者たちが無我夢中に未来をめざす国ではなくなったのかもしれない。情報化社会といわれ久しいが、多くの情報を知識として頭に詰め込んだ分だけ臆病になって、現状を守ることだけに精一杯にならざるを得なくなったのかもしれない。子どものように無条件に夢あふれ、希望に満ちあふれていた時代という概念が単なる幻想だったとしても、そんな幻想を抱かせてくれた時代は豊かな時代であっただろう。それぞれの世代がそれぞれの世代の役割を自信をもって演じることができる時代、そして必ずしも演じなくてかまわない時代、そんな時代を作っていけるといい。


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