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実録| 瀬戸の花嫁
なんぞや、ワシの嫁入りの話を聞きたいんけや。
なんも、おもっしょいことないぞよ。
あれは、大正の終わり頃かいねや。
ワシはガイでワガママじゃけん、嫁の貰い手がなかってのう、親が困りよったんじゃ。ほしたらのう、行商のおいちゃんがうちに来てのう、「ずうっと西の方のちこまい島で、漁師が嫁を探しよんじゃ。ワレが行ったらどうぞや」言うてのう。
垣生に嫁の貰い手がないんじゃけん、しゃあなかろげや。ワシはそのまま、その島に…下蒲刈に嫁に行くことになったんじゃ。
下蒲刈は、呉のネキよ。今治のずっとずっと向こうよ。
そん頃の愛媛は国鉄がなかったけん、船よ。多喜浜から船に乗ってのう。燧灘を越えて、来島海峡を抜けて。ワシは波見るだけでも酔うけん、よいよう難儀したわや。
…嫁入り道具?ほんなもん、あるけや。風呂敷に襦袢を包んだだけじゃわや。そんだけ持って船に乗ったんじゃ。その行商のおいちゃんと二人でのう。
…親?一緒に来たりするけや。百姓なんじゃけん、田んぼを放ったらかしにできるわけなかろげや。貧しい漁村から貧しい漁村に嫁に行くんじゃけん、結婚式も花嫁衣装もないぞよ。
ほんでのう、島に着いて初めて、爺の顔を見たんじゃ。
…男前じゃ思たわや。体も太いしのう。
…ワシはこんな男前の嫁になれるんか思てのう…
ほんまに、ほんまに、たまげて、ボーっとしてしもたわや。
肺病持ちじゃけん、嫁の来手がなかったんじゃと。そんで、しゃあなしに、四国で嫁を探したんじゃと。ワシはそん時に初めて聞いたわや。
そん時、ワシはハタチで、爺は二十四じゃ。
ほんまに、ほんまに、男前だったねや…。
下蒲刈の人は優しい人ばっかしでのう、ほんまに、良うして貰た。ほんじゃけんど、爺の体が弱いけん、漁に出れんけん、食っていけんなってのう。子どもがおらんうちはええけんど、子どもができたら、もう、いかんわや。
食い詰めて、食い詰めて、子ども二人だったらワシ一人でもなんとかしていける思てのう。ワシは子どもだけ連れて、垣生に去んだんじゃ。
垣生の実家に去んでのう、親の田んぼの手伝いしてのう。子ども二人を食わせよったんじゃ。
そしたらのう、一年くらい経ってのう。
急に、爺がうちに来たんじゃ。
ほんまに、たまげたわや。
そんで、しゃあなしに、そのまんま垣生で一緒に住んだんじゃ。爺がよいよう働けんけんのう、ワシが魚の行商してのう、八人育ててのう…その一番下が、ワレの親父じゃわや。そりゃあもう貧乏で、よいよう苦労したわや。
…なんで、爺を下蒲刈に追い返さんかったんか?
追い返そうとは、全然、思わんかったねや。
爺が実家に来た時のう…
うちの戸を開けたら爺がおってのう、ワシの顔見てのう、嬉しげえに笑うたんじゃ。そんでのう、「よう、元気にしよんか」言うたんじゃ。
男前じゃけん、笑うたらますます男前よ…
その顔見たら、ワシも嬉しなってのう。
「ワレぁ、なにしに来たんぞや」言うたら、爺が「ワシぁお前がおらんと生きていけんけん、追いかけて来たんじゃ」言うてのう……
「ワシがコイツを食わさないかんのんけや。ワヤじゃ」と思たけんど…嬉しかったねや。たいていワシも、笑うとったぞよ。
ほりゃあ、ほうだろげや。垣生じゃあ誰も嫁に貰てくれんワシみたいな女を、わざわざ、下蒲刈から舟で追いかけて来てくれたんぞよ。あの男前がぞよ。
瀬戸内海をよ。あの体の弱い男が、たった一人で、舟を漕いで。
大正の終わりぞよ。
貧乏漁師なんじゃけん、ちこまい手漕ぎ舟ぞよ。
ちこまい手漕ぎ舟で、来島海峡を抜けて、燧灘を越えて来たんぞよ。
垣生がどこにあるんかも知らんのにから、難儀してここまで来たんぞよ。
ワシに会うためによ…
二十九の、男盛りの男前がよ…
二十五の、ワシに会うためによ…。
たまげろげや。
嬉しいに決まっとろげや。
…え?おじいちゃんはそこまで男前じゃなかった?
若い頃の写真見ても、全然普通?
…あああ、
ワレには、男前というもんが、わからんのんかいねや。
かわいそうにねや……
(瀬戸の花嫁 了)
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