Rainbow - I Surrender★40年前の記憶★1981日本公演のチケット欲しさに徹夜で並んだ。

専門学校時代(ロックとギター熱狂時代)、ライブチケット(整理券)を獲得するために、クラスメイト(バンド仲間)4人で徹夜で並んだ。
公式な記録を辿ると8月の暑い盛りだったようだが、記憶は革ジャン姿と明け方の凍り付くような寒さに震えたことだった。
整理券の発行窓口に、夜の21時が待ち合わせの約束時間だった。
到着すると、既に「同類」と直ぐに分かる若者達がシートや新聞紙を拡げて陣取りを始めていた。
当時流行ったステレオタイプのラジカセがあちらこちらで目についた。もちろん再生される曲は来日公演のタイトルとなっている「I Surrenderのアルバム」からだった。
ヴォーカルが代わったことで、曲のイメージもお幅にメロディアスになった。その代表的な曲がこの曲だったと言える。
思わず一緒に口ずさんでしまう感動的な旋律を、あのリッチーの妖しく激しいギターサウンドで奏でるから堪らなかった。

夜通し音楽と気になる女子の話題で盛り上がり、本当に楽し過ぎる時間だった。専門学校へ入るまでは超優等生・真面目・一徹だったが、(御免。責任転嫁。)悪友のすすめで煙草も酒も朝帰りも覚えた頃だった。

星空を見上げた記憶はないが、雨ではなかったことは確かだ。朝方は寒く、煙草の煙で暖をとる振りをしてみたり、酒類の自動販売機(その頃は時間制限なく買えた)でワンカップを数だけ買って、チビリチビリとオヤジ臭く呑んだ。空きっ腹(喉にも)にアルコールが滲み、同罪の仲間意識で友情も沁みた気がした。

お目当ての整理券を手にできたのは朝の10時だったと思う。その頃には、気付かないうちに大勢の同類でごったがえしていた。

称賛と労いで茶店に駆け込み、皆んなでモーニング(レイコー(死語?))を食べたが、激しい眠気に襲われていた記憶の方が鮮明に残っている。

この貴重な機会にオチがある。
待ちに待ったライブ前々日に、遠距離恋愛予備軍の彼女から「明日遊びに行く」と電話を受けて、選択肢に迷う間もなく大切な貴重なチケットを他のクラスメイトに売って(優しいので同額で)しまった。

ライブか彼女とのひと時か、どっちが良かったのかと尋ねないで欲しい♥

本当に偶然だが、「I Surrender」=「やられた!参った!降参!」と直訳できる。

スピリチュアルは、この若き純粋(?)な頃から身に纏っていたのだろうか?

後に、「Difficult to Cure」=「治療不可(治療困難)」と云うアルバムがリリースされる。

苦笑いしかない。

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