認めたら、自由になれる。
(追記:かなり古い文章で、だいぶ昔に書いたものなので、今見ると拙すぎて恥ずかしいけど、記念として残しときます。笑)
初めてのノートを書いていこうと思う。何かを書きたいわけじゃなくてただnoteを書きたい。
だからまずは何を書くかを決めないとなんだけど、今日は「自由」について軽く書いていこうかな〜って思って書き始めます。
私は自由がすき。自由に生きている人がだいすき。自由に考えている人がだいすき。
ん?自由ってなんだ?
そうそうそこなんだよね。辞書で引いてみると「心のままであること、あるいは外敵束縛や障害がないことを意味する」ってあった。他にもいくつか書かれていたけど主にはこんな感じ。
じゃあ例えば「私は明日学校に行かなければいけない」
これって自由?
中学の時超絶憧れていた高校に行けた私からすれば、学びたい場所で学べてるんだから自由。
ちょっと疲れちゃったしお腹痛い私からすれば不自由。
心のままではないから不自由?
考えればいろんな視点はあるけど、なんとでも言えそうだね。
じゃあもうひとつ。「私はもう疲れちゃったけど、あの人と話したら楽しませられる気がするし私も楽しめる」(ちょっと偉そうでごめんなさい。でもこういう瞬間を経験したことある人いるはず)
何もしなければ誰も何も思わないことを考えると自由。
でも楽しい未来を想像できちゃった私からすれば不自由。
でも心のままに決められるから自由?
これもどうとでも考えられる。
自由についての考えは深められてないけど、今日1番感じて書きたかったのは「多様性を愛すること」が「自由になること」につながるんじゃないかってことなんだ。
これはある方のお話を文字起こししてて感じたんだけど、私の中ではとてもしっくりきた。
私が好きな言葉の中に”I like the way you are”っていう言葉があって。
「あなたのここが好き」とか「こうだからあなたが好き」とかではなくて、「そのままのキミが好きだよ」っていう意味合いらしいんだよね。もしかしたら少し違うのかもしれないけど、私はそう解釈してます笑
私が誰かのありのままに好きになった瞬間、その人は私から自由になる。だって私はその人のありのままが好きなんだもん。
私がその人から自由になりたい時、その人の前で自由な自分でありたいとき、私はその人にありのままを好きになってほしい。
社会的なことを考えるとこの考えではうまく行かなそうな気はしているんだけど、でも一理あると思うんだ。
「同性婚の多様性を認めれば、同性婚の人は自由になれる」
「コロナで変わりつつある考え方の多様性を知れば、色々な行動から自由になれる」
「学校を気分で休むことが一般的になったら、学校の出欠席から自由になれる」(これはちょっと自分の望みすぎるかな笑)
認めることって人を自由にすると思うんだ。
本当に色々あるとは思うんだけど、「認める」だけじゃなくて「愛する」が必要そう。ここにきて思った。
昔から、ちょっと人には言いづらいこととか自分のコンプレックスになるようなことを話してくれる友達がたまにいる。
それは私がそれを「認めるから」「愛するから」って思ってくれるからなのかな?
「反対されない社会」じゃなくて「賛成する社会」
「認め合う社会」じゃなくて「愛し合う社会」
そんな世界になったら素敵だな〜。
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