54th_僕を走らせるもの
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このブログは、
"200~500kmを走るジャーニーラン"というクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。
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■ ときどき、
「なんでそんなに走れるんですか?」
と聞かれることがあります。
僕自身、走れる理由がよくわかっておらず(最近では自分なりに研研究や試行錯誤を重ね、フォームや装備に原因があるという根拠はつかめましたが)、
走れる理由を聞かれたときに一番に思うのは、
「目標があるから」ということだと感じています。
■ 「なぜ走れるのか?」
上記で質問するひとは、だいたい「好きだから」だと考えます。
実際に走ることが好き、という側面がないわけでもありませんが、
ウルトラマラソンやジャーニーランなど長距離の大会でも走れる大きな要因としては、この目標が果てしなく高いので、絶えず走り続けられているように思います。
ここでいう目標とは、Being目標、つまり在りたい姿のことです。
このBeing目標に、
どんな過酷な状況でも、
「もっと上を目指せる!もっと先に行ける!」という、自分自身の自画像を描いています。
むしろ、
「過酷な状況だからこそ笑って戦える自分」
そういう自分自身で在りたい、と。
この目標を常に持っているので、走り続けられるのです。
この目標がないと、きっとサハラマラソンを完走した初期の頃に燃え尽きていたでしょうね、、、
■ なので、「なぜ走れるのか?」と問うたとき、
走る動機がしっかりしていることが一番大事だと考えます。
それはBeing目標から来るものであれば尚良しで、走る動機がしっかりしていないと、走る気持ちが湧かず、走ることを持続できないですからね。
どんなにフォームが安定していても、どんなに装備品がしっかりしていても、それを使うのは人の心。
人の心が動き、適切に使おうとしなければ、どんな大層な道具でも、おもちゃでしかありません。
■ 僕はまだ目標に辿り着いていません。
サハラや沖サバを目標にして走っていたこともありますが、それはあくまでも通過点。本当のゴールはまだまだ先にあります。
いや、ゴールなんてないのかもしれません。
死ぬまで走る。
限界の限界、極限状態の先にあるもの。
それを見るために、僕は走っているのかもしれません。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!