虹を見つけた時、どうしますか?
“心”って、無理に育てるもんじゃない。
って考えるようになったのは最近なんですよね。ある詩を読んでからなんです。“心”って年齢に伴ってなくていいんじゃないかなと。別に、誰かが「伴ってなくちゃダメだ」って決めたわけじゃないんですけどね。
“心”って一言で言っても、どういう意味の“心”なのよ、って聞かれてしまうと困りますね。本題に入る前に重量級の記事が出来てしまうと思われます。なので、聞かないでみて下さい。最後まで読んでいただけると、何となく分かると思います。
さて。
その、出会ってしまった詩なんですけどもね。ウィリアム・ワーズワースさんって方が書いた“My heart leaps up”っていう作品です。ワーズワースさんとはじめましての方に簡単に彼のことを紹介します。彼はイギリスに住んでいた、自然が大好きな方です。しっかり紹介すると超重量級の記事が生まれますので、ね。
この詩がですね、そりゃあもう素敵なのですよ。お勧めの読み方、紹介します。読む前に、だだっ…広い芝生と、だだっ…広い青空を想像してみてください。それでその青空にでっかい虹をかけてみてください。
My heart leaps up / William Wordsworth
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
自分なりに訳してみますので、もしよろしければどうぞ。
空にかかる虹を見上げた時
心が跳ね上がった
幼いころもそうだった
大人になった今もそう
歳を重ねた未来もそうでありたい
そうでなければ死なせてほしい
子供は人間の父親である
願わくば、私の生きる毎日が
自然への尊敬の念で結ばれてほしい
何歳になっても、空にかかる虹に心躍らせていたいよね。って詩です。
子供の頃を思い出してみますわ。自転車のタイヤに付いてた反射板がつくった小さな虹にも「あ、虹だっ」って言いますよね。空にでっかい虹なんて見つけた日には「今日虹見た」って、何故か誰かに報告。しまいには次の日学校で「昨日虹見た?」って友達に。
いくつになってもこんな風に楽しめる“心”っていいな、と。もちろん、ワクワクじゃなくても、綺麗だなぁと眺めてみたり、その美しさに涙したり。とにかく、何かからの刺激を受信し続けたいと思うのです。
何歳になっても若い心を持つこと。若いころから成熟した心を持つこと。何歳の人がどんな心を持っていようと、その人に合ってればいいですよね。自分の心とは合わなそうだと思う方向へ、無理に持ってかなくてもいいんですよね。「友達がコレに心躍らせてるから、私もこれでウキウキしなきゃいけないのかな」とか、ね。自分の好きなことにワクワクしたらいいんです。周りの人に無理に合わせてたら疲れちゃいますし。なので「ノリ悪いよ」は時と場合によって鋭い言葉になりますよ。みんなで気を付けられたらいいですね。
まぁ。この詩を読んでこんなことを思ったんです、というお話でした。
英語に興味のある方いましたらどうぞ。
leap up (句動詞)飛び上がる、跳ね上がる
behold(動詞)見る、眺める ※古い書き言葉です
piety (名詞)敬虔、敬愛
詩の訳はずいぶんラフだと思います。でも、詩の解釈はいくつあってもいいのでね。読んだ人が全員同じ解釈をしたらびっくり仰天ですから。十人十色ですよ。
読んでくださった方、ありがとうございました。
Work Cited
Reidhead, Julia and Marian Johnson, eds. THE NORTON ANTHOLOGY OF ENGLISH LITERATURE. New York, London: W. W. Norton and Company, Inc. 2018.